住職近況 バックナンバー 

めずらしく寒い3月(2024.3)

 今年は暖冬との予想でしたが、2月の後半から気温が上がらず、また南岸低気圧と寒波による冷たい北風の影響で、寒い3月となっています。特に毎日のよう に吹きすさぶ強風には、完全に閉口しており、昨シーズン台風がなかった分生き残っていた、杉や竹の枯れ枝、枯葉がお寺の裏庭や、正面を風が吹くたびに埋め 尽くし、それを片付けて掃除するのがとても大変です。
 さらに今年はお彼岸が日曜日に始まり、彼岸中日の春分の日を挟んで、土曜日に終わるという、休日だらけの日程でありました。そのため法事も沢山頼まれ て、お墓参りの方々も大勢来られるという、お寺的には充実した日程でしたが、毎日吹き荒れる強風のため、早朝よりの掃除がほぼ毎日欠かせない状態でした。 本当に疲れました。
 3月の上旬に河津桜が満開となりまして、それを見に近所の河原に出かけました。とても暖かい日で心も踊るようでした。その頃の予想ではソメイヨシノが熊 谷3月18日開花ということでしたが、寒さが続いており24日の開花に繰り下げられましたが、本日25日でも固いつぼみのままです。入学式はもしかした ら、桜の下でとなるかもしれません。何十年ぶりでしょうか。
 市役所職員としても、私はこのたび4年ぶりに人事異動となりました。役職であれば一番上になり、生意気にも新聞報道もされました。35年の勤続表彰も受 ける予定です。ここでひとつの節目とするか、どうするか。1年かけて考えて行きます。無理せず残りの人生を生きていきたいです。

久しぶりの大雪(2024.2)

 2月5日は、市役所の仕事で、いくつかの出先施設を回り、火災、防犯、現金、情報管理が適正にできているかを確認する、施設監査の日でした。朝からとても寒い日で、乗り合わせた公用車の中も凍り付くほど、寒く感じました。
 お昼休みで昼食を食堂でとっている最中に雪が降り始め、食堂を出るころはアスファルトの道路以外は真っ白に雪が積もっていました。降り始めは雨だったも のですから、昼間は凍結の心配はなく、順調に監査は済みましたが、終了する午後3時ころには、道路にも積もり始めていました。
 終業時には、地面には10センチほど、路面には5センチほどの積雪となり、スタッドレスタイヤの効果を数年ぶりに実感しました。暗い雪の夜道は運転に不安な人が多いようで、ノロノロ運転の渋滞の列が続き、普段の倍くらい帰宅に時間を要しました。
 翌日からはとてもよく晴れて、雪は3、4日のうちに無くなりましたが、お寺の大屋根から落ちた雪はしばらく残りました。またとても困ったのが、裏の竹や ぶの竹が15本ほど折れてしまったことです。直後の週末に息子と二人で片付けましたが、15メートルほどある孟宗竹は切り倒して、枝と幹とを分けて、整理 するのに丸々半日かかりました。皮肉なことに整備して竹の本数を少なくしている、我が竹やぶは竹が折れましたが、手入れをしないで、ぎゅうぎゅうの竹やぶ は、竹が支え合うため折れていなかったのでした(泣)。
 ともあれ、大きな被害もなく大雪を乗り越えることができました。もうじき3月になるので、大雪は降らないと思います。今年は桜の開花はいつになることやら。毎年早まる春、そして想像を絶する酷暑の夏があと少しで訪れます。

自然がもたらす色々な体験(2024.1)

 当サイトの愛読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。今年は辰年です。コロナ禍がない新年も久しぶりでございます。天高く伸びる年になってもらいたいものです。
 さて、新年あけて正月行事も落ち着いた15日の朝7時少し前、裏の山、もしくは竹林あたりで「ドーン」と何かが倒れる大きな音が聞こえました。折しも朝 御飯を食べていた最中でしたが、気になって外に出て見回りました。山の木が倒れたか、それとも屋根の鬼瓦が転げ落ちたか、と細かく見て回りましたが、何事 もありませんでした。とはいえ確かに「音」は聞こえましたので、自動車事故の衝突音か、裏の中学校で何かが倒れた音だろうと思い、その後記憶から離れ、忘 れていました。
 ところが2日後くらいに、テレビで「火球」という流れ星の一種が関東地方で目撃されたとのニュースが流れました。衝撃音も確認されたとの解説もありまし た。まさに私が「音」を聞いた時間と合致していますので、これで謎が解けました。ただ、とても大きな音でしたので自然の脅威を実感しました。昔の人なら不 吉な前触れと思ったかも知れません。
 「火球」の翌日と翌々日は、台風並みの強風が吹いて、お寺の周囲が木の葉だらけになってしまい、掃除がとても大変でした。今シーズンは台風の襲来が一度 もなく、杉の葉がほとんど散らなかったので、冬に拾う杉の葉がとても多いです。杉の葉は形がトゲトゲしているので、ホウキで掃くには効率が悪く、拾い集め るのが大変です。へとへとになりました。
 風も吹かなければ、雨も降りません。ここ2か月くらいの雨不足から、畑の作物は元気がありません。10月くらいは雨が降っていましたが、11月以降は少 雨で作物の育成が止まっています。また近所の沼の水も干上がってしまったそうです。鯉が小さいスペースにすし詰め状態だそうです。これまでになく地下水も 枯れつつあるのには不安を感じます。
 自然は、多くの恵みをもたらしますが、一方で脅威でもあります。人間の力では自然はコントロールできません。今年は風雪雨照が穏やかでありますように願ってやみません。 

すべて一度に一時期に(2023.12)

 12月に入って、観測史上過去にないほどの暖冬でありました。最近購入したオートバイにも12月に入っても2回ほど乗ることができました。20度を超える最高気温の日も何日かありました。暖房がいらない位の暖かさでした。
 紅葉も遅れており、11月末の嵐山紅葉まつりでは、まつりの名である紅葉はどこへやら、暖かい気候のおかげでまだ草も青々としており、これまた今までにない景色が広がっていました。とはいえ私が行った2日目は木枯らしが吹き、暖かい食べ物以外は売れ残っていましたが…。
 以前梅、桃、桜、ツツジが一度に開花すると書きました。これも寒い時期から一気に暑い時期に移ることが原因だと思います。反対にこの時期、暑い時期から 一気に寒い時期に移りますので、桜、クヌギ、杉など色々な落ち葉が、一斉に落ちて、それを掃いて片付けるのがとても大変です。さらに今まで少雨でありまし たので、昨年の落ち葉もまだ腐葉土とならずに残っています。
 日本は四季があるから美しいと私自身思っていますし、また国内外の書物にも同様に記されています。ただここ数年の異常気象から、春と秋がなくなりつつあ ると感じています。これも地球温暖化が原因なのかとも思います。寒暖差が激しいとの報道もありますが、暑すぎるので寒さは変わっていないのですが、温度差 が著しいのだと思います。
 これから年末にかけて、落ち葉や枯れ枝との奮闘です。いよいよ私も「アラ還」に入ってまいりました。ゆく年に感謝し、くる年に希望をのせ、少しずつ少しずつ、穏やかに暮らしていきます。

生命のエネルギー(2023.11)

 動 物は動き回って、命をつなげて、生涯を全うして死んでいきます。一方で植物は動くことができませんが、様々な方法で命をつなげて行きます。今年の夏は言う までもなく酷暑でしたが、植物の中でも「芝生」だけはとても元気で、他の植物が暑さで枯れたところに、根を伸ばして少しずつですが、自分の住む場所に変え ていき、しまいにはそこ一帯が芝生だけになってしまいます。もはや芝生の独壇場です。
 積善寺の周囲も私が住み始めた十年前は砂利と石と雑草が繁茂していました。砂利と石を除去してリュウノヒゲやヤブランを植えて、さらにツツジなどを境に 植えて環境を整えてきました。そのためにこつこつ毎日、五年以上の月日を要しました。ある程度庭が整備された頃、毎年酷暑、少雨の気候に変わってきました。植えた下草は 枯れて、いつの間にか除去した砂利の間に芝生がはびこり、今では芝生の面積が一番広くなってしまいました。
 芝生が生えると、伸び放題にになり、芝刈りをしないと、だらしなく整わない雰囲気となります。芝刈りは一か月に一度程度しなければならず、しかも酷暑の 中行う必要があるのでとても体力を消耗します。そこで今年は、芝生を除草剤で広い面積を枯らし、砂利を敷くことにしました。これで芝刈りでなく、除草剤の 散布で手入れが済むため、とても楽です。ホッとしました。
 また、今年は暖冬なので、十一月になっても、小さい草が沢山地中から芽を吹いています。これも抜くか、除草剤を撒くかの対応で、手がかかります。動物に勝る、生きる力。植物の静かでも力強い「生命のエネルギー」を実感する今日この頃です。 

冬の野菜をつくります(2023.10)

 ここ数日「野菜が値上がり」とのニュースが、各所で報道されています。お寺の敷地の片隅で家庭菜園に励んでいる身としては、十分に実感しているところです。なにしろ今年の酷暑が原因であるからです。
 通常、秋冬の野菜は9月に入ると種をまいて、発芽させ苗を作ります。ことしは白菜を種まきし、苗を畑に植えた9月の中下旬は酷暑で、苗が枯れてしまいま した。今日現在の白菜産地の主力である北日本でも同様に数か月前に苗が枯れたそうで、本来涼しくなる時期に暑いとこのような現象が起きるのです。特に生産 農家は何万株とつくるのでしょうから、苗の作り直しは難しいと思われます。
 私は作り直しましたが、遅く育てると白菜は結球しませんので、どんな白菜になるか心配です。またレタスは9月に種まきしましたが、ひと月ほど暑さで発芽 しませんでした。天気予報では晴れると「天気が良い」といいますが、本来は雨と雲のバランスが良いのが「天気が良い」のではないですか?
 10月に入って、涼しくはなりましたが乾燥気味の天気は続いています。畑にホースで水やりをしています。おかげで今のところ、白菜、小松菜、大根、ホウ レンソウ、チンゲンサイ、春菊はすくすくと育っています。ただ夏ごろから植えているネギは元気がありません。ネギは寒さを好みますので、暑さをまともに受 けてしまっています。
 少しずつ野菜づくりも軌道に乗ってきました。野菜は苗の時の管理が重要だと分かりました。子育ても幼少期の教育が大事なのもうなづけます。野菜も子どもも安心して育つような気候や、社会であってほしいものです。 

記録づくめの酷暑(2023.9)

 と にかく今年の夏は「暑」かった。燃えそうでした。夜間の最低気温25度以上の日を「熱帯夜」といいますが、9月19日までの東京の熱帯夜の日数は57日 で、これまでの最多記録2010年の年間56日を上回り過去最多となりました。今年は同日までで真夏日も87日、真夏日連続も64日、さらに35度以上の 猛暑日も22日を数え、これまでになく、様々な暑さの記録を更新しています。真夏日日数、真夏日連続日数、猛暑日日数、加えて熱帯夜日数など、東京に限ら ず記録を更新している地点が続出しています。
 東京都心は9月20日、最高気温が32.3度を記録し、11日連続で30度以上の真夏日となりました。都心の真夏日は今年88回目で、9月に入ってから30度を下回ったのは8、9日の2日間のみでした。
 私の住んでいる嵐山町は、内陸部にあり、東京よりも気温が高いです。今年の夏が暑い原因は太平洋高気圧の異常な東への張り出しによるものだとの説明が気 象庁よりありました。通常太平洋高気圧は、小笠原諸島付近で勢力を強めるようです。小笠原諸島では常に海流と潮風が吹いていますので、太陽に照らされて地 表面の温度が上がっても、自然の力で冷やされます。しかし内陸部ですと冷却する媒体がありませんので、温度が上昇しつづけ、さらに翌日も下がらず暑さが キープされてしまうようです。
 実際に海沿いの千葉の館山市などは潮風や海流の影響で涼しいそうです。とはいえ昭和の頃から比べると気温が高くなっているとのこと。温暖化は全国的な問題になっています。

 これから夏に行っていた行事を涼しい時期に移動するとか、生活様式を変えて夏の休暇を長くする等の工夫がなければ、これからさらに進む猛暑に対応するのは難しいと思います。どんどん生き辛い世の中になっていくのかなあ。少し心配です。

夢のある社会へ(2023.8)

 「暑い」という言葉は使い疲れ、また「猛暑」も日常化しましたので、今回は別の話題とします。本当に暑いね(笑)。春夏秋冬季節はめぐり、寒かったり、暑かったりと一年は目まぐるしく過ぎていきます。
 楽しかったひと時はすぐに終わり、退屈で苦しい日々の仕事が待っています。生きていくのはとにかく「苦」との付き合いです。これを仏教では「四苦八苦」 と定義し自分の身の中に起こる「生老病死」の四苦と外面に起こる四苦で八苦としています。仮に人間に生まれなかったとしても「六道」のどこかに身を置かな くてはなりません。「天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄」が六道です。この世で人と生まれ、生きることは上から二番目の幸福であると思い、たとえ苦しくて も、精いっぱい生きて、命をつなげていくのが我々の務めだと教えられています。
 命をつなげるということですが、少子高齢化が大きく問題となっています。結婚し子供をもうける方が少なくなっているのが現状です。自分の人生に満足していないと、なかなか次の世代に命をつなげることに結びつかないというのが、ひとつの原因ではないでしょうか。
 なぜ満足していないかというのは、色々な見方があると思いますが、それを解決していくのが、政治であり、行政であるのではと思います。とはいえ今は「お 金」の問題であると単純に考えられ、給付金や補助金の策に偏りすぎている傾向にあります。お金がもたらす安定的で不安のない生活も、もちろん重要ですが、 次世代やさらにその先の世代につなぐ「夢」のある社会から、今の社会は少し離れてしまっているのかも知れません。私は政治家ではありませんが、自分自身 「夢」を持ち生きることで、周囲に良い影響を与えていきたいと思っております。

エアコン前提の生活?(2023.7)

 7月も中旬になり、35℃を超える猛暑日が、もう4日以上続いています。外に出ると体全体が炎に包まれているようです。市街地でなければ、屋外を歩いている人も見当たらず。田舎のアスファルト道路は人っ子一人歩いていません。
 思い起こしてみれば、私が子供の頃、40数年前は30℃もいけば、その夏の最高気温で「暑い暑い」と大騒ぎでした。ところが現在は40℃に届く勢いです。はっきり言って10℃は上がっています。誰も不思議に思わないのでしょうか。はっきり言って異常です。
 テレビ放送では、おしゃれに着飾ったアナウンサーが、雨が降ると「天気が悪い」と言い、晴れれば「熱中症に気を付けましょう」と言います。雨が降らなけ れば農作物は育ちませんし、暑くても行動に気を付ければ熱中症にはなりません。農業に関心のある人が減り、自分の行動に自分で責任を負える人が減ったのだ と実感しています。
 私が大学生だった30年ほど前は、アパートにエアコンのある学生などはほぼいませんでした。そもそも真夏で暑かったのですが、扇風機で十分でした。それ が今、娘、息子の話だと、エアコンの無い部屋はめずらしいそうです。それほどまでに暑さがひどくなったのかと思いました。地球温暖化が進んでいることは事 実で、ひとり一人ができる対策は少ないと思います。しかし、日本における食料自給率の低下や、温暖化について、もう少し新聞やテレビといったマスコミが取 り上げてもよいのではないかとも考えました。エアコン前提の社会、そして生活。なにか我々が履き違ってきた歴史の象徴なのかとも思いました。

育てる楽しみ(2023.6)

 6月に入り、猛暑日も出現するようになりました。寝苦しい夜も何夜か出てきました。今年は幾分暑さが厳しくないかと思っていましたが、その期待もはかなく敗れ、毎日汗だくでウロウロ歩く生活です。
 5月に植えた夏野菜も少しずつ収穫ができるようになり、肥料を与えたり、支柱で支えたり、枝葉を整えたりと、世話を毎朝のように焼いています。今年はナ スも数種類植えて見ました。丸いナスは野生種に近いようで、トゲが鋭いので注意が必要です。トマトもミニトマトは色づくのが早いですが、通常種のトマトは 実が育ってから赤くなるまでに日数を要します。キュウリはまっすぐ育つものが少なく、曲がって育って、しかもうっかりしていると大きくなりすぎてしまいま す。
 今年はインゲンとオクラ、トウモロコシを新たに育てました。インゲンにはツルありとツルなしがあり、どちらも同じ味がしますが、ツルありの方が収穫量が 多いようです。オクラは苗が小さいうちから、身に不釣り合いなくらい大きな実がなります。トウモロコシはカラスが絶えず狙っているので、ネットを被せて保 護しています。トウモロコシは一株に一個の実が良いというので、二個目の実を早めに採り、ヤングコーンとして食べました。これがまた美味でした。トウモロ コシを育てている者の特権です。ショウガも少しずつ芽を出して、育ってきました。
 草を刈り、枝をおろすだけの、庭の手入れではあまり実感しなかった、「育てる楽しみ」を今年は畑で味わっています。野菜を食べるまでにするには一方ならぬ苦労が必要だと実感も同時にしました。農家の皆様本当にご苦労様です。

「がんばらない」大切さ(2023.5)

 愛読者の皆様、5月に入っても天候不順で、記録的な猛暑や低温が交互に訪れ、体調管理に大変なこととご拝察申し上げます。拙僧も屋外作業で体が疲弊する中、日差しや熱風、高温にやられております。やれやれ疲れました。
 さて、世の中は5月になり、新入学、新入社等、4月から新たなスタートを切って約一月が経過しました。新たな環境に大きな期待と不安につつまれつつ飛び 込んでいった方々も、「想像と少し違う」ことや、「友人や、会話ができる人がいない」など様々な悩みを抱えて、体調を崩すシーズンになりました。いわゆる「5月病」です。
 一般的に人間は、自分の経験から「自分がこのように行動すれば、相手はこのように反応する」、もしくは「相手は自分にこのように行動してくるだろう」な ど、予測して行動しています。しかしその予測がことごとく誤っていたり、自分の考えと大きく違うことが続いたりすると、違和感を覚え、その違和感の積み重 ねが、体の不調を招くのです。
 私のように、人生経験が豊富な者であれば、ある程度はやりすごすことができます。しかし経験が浅い若者、管理職になりたての中年、入学したての新入生 は、なかなか環境に順応できず、体をこわしてしまうのだと思います。さらに日本人は真面目な方が多いので、なかなか「助けて」とか「私にはできない」とか のSOSを発信することが苦手です。
 ある著名な社長さんの言葉に、「本当に強い組織は、職場においても、誰もが気兼ねなく弱音を吐けたり、助けを求めたりできる組織だ」というのがありま す。「がんばらない」ことが大切なのです。言い換えれば弱音を吐かないことが「がんばる」ことではありません。例えば職場での相談が無理であれば、友人や 家族にまず相談することも大切です。
 私もこの頃、「がんばらない」ことを心がけています。こころなしか、それを続けると周りの人にも優しくできる気がします。自分と周りに安らぎと平和をもたらすためにも「がんばらない」ことが大切です。

暑い日、寒い日(2023.4)

 市 役所に入所して34年目を迎えました。今年も人事異動がなく、安らかな1年が送れそうです。市役所も私が新人の頃とは様変わりしています。その昔は「9 時、5時人生」とか、「遅れず、休まず、働かず」という陰口も聞かれていた公務員ですが、不景気、物価高、貧困、高齢化等、社会問題が表面化している令和 の時代においては、現場に一番近い市役所職員は激務に追われています。
 さて、話は変わりますが、この連休明けにはコロナが5類扱いになり、いわば普通のカゼと同様の扱いになります。連休の始まり位から、あちらこちらで人出 が多く、高速道路は連日の渋滞です。人々は今までの自宅待機を取り返すかのように、競い合って外出しています。飲食店や観光、サービス業でアルバイトの確 保が大変だとの報道もあります。ぜひ景気回復を期待します。
 今年は春彼岸位から高温が続き、なんとタケノコが3月位から伸び始めまして、4月の中旬には、ほぼ良いタケノコが出尽くしてしまう状態でした。温かい日 が数日続いた後、ガクンと温度がさがる日もあり、高齢の方にはとても堪えるようで、お葬式も何件かありました。晴れると強風が吹き、あめが降ると寒くな り、温度が上がると30℃を超えていく。ひと昔前では考えられないような目まぐるしい気候です。桜も3月中に終わってしまい、新緑も4月に芽吹き、5月初 めには夏の景色になっています。
 今後も暑い日が続くことが予想されます。草刈りや屋外の作業は避けられない境遇ですので、大事をとって体をいたわり暮らしていきます。


ひさびさの温かい再会(2023.3)

 僧侶になってから、公務員も兼業していることから、一年のうちに自分の自由になる休日が5日ほどしかありません。なかなか自分の時間が作れず、各方面にご無沙汰になっていました。
 昨年の6月の親父の葬儀の時に親父の一番下の妹の叔母に再会して、一度遊びに行こうと心に決めていました。年末年始、雪、法事等で多忙ではありました が、思い切って時間を作り、3月の初めに一泊で叔母のいる、群馬県の四万温泉に行きました。叔母の家は元そば屋でいまでも、住まいはおそば屋さんの雰囲気 を残しています。中之条駅に通じるバス停の所だというので、とてもわかりやすく自家用車で一発で行くことができました。
 叔母の元おそば屋さんに到着すると、とても懐かしく、時間が一気に戻りました。ひとしきり話をして、その後お土産をもらって、叔母も働いており、予約を していただいている「積善館」に向かいました。なぜかわが積善寺と積善館は呼び名が似ており、とても親しみが湧きました。宮崎駿の映画の題材になったとも 言われる建物は、歴史と風情があり、また文化財に指定されている「山荘」という建物に泊ったので、昭和を味わい、ゆっくりとできました。また叔母の計らい で、ビールも差し入れていただき、美味しい料理と、温かい温泉で本当に疲れを癒すことができました。
 翌日、出来立ての温泉まんじゅうを持たせてくれるというので、再び叔母の家を訪ねました。ひとしきり時間を忘れ、また昔話に花が咲き、とてもなつかしい ひと時でした。四万温泉の歴史や、街並みのすばらしさももちろんですが、今回の旅は何といっても叔母との久しぶりの再会が大きかったのではと思いました。 一緒に行ってくれた妻も、私と同感ですごく満足していました。とても温かい再会でした。
 来月から、新しい部署に異動かもしれません。60歳に近づいています。体に無理せず、今後を考え進んでいきます。

寒さと風と雪と木の葉と(2023.2)

 令 和5年も2月に入りました。巷のニュースでは新型コロナウイルスが「普通の風邪」の取り扱いとなる5類に移行する準備として、来月3月の13日からはマス クの着用は個人の判断となり、また正式には5月の8日から5類移行となるそうです。あれだけワクチン、ワクチン、3蜜を避ける等、大騒ぎしていたコロナが 「普通の風邪」となることにはしばらく抵抗がありそうですが、景気の回復も含めて今後の社会活動のあり方が注目されます。
 さて、節分の前後の大型寒波は寒さが厳しく、体にとても堪えました。特に私が市役所で座っているデスクはとても寒い場所にあり、週明けの月曜日は冷え切っており、丸1日暖房が効かない状態であり、家に帰ってから調子が悪くなるほどでした。
 加えて、日本海側の豪雪に伴う、台風並みの強風が4日おき位に吹いて、のぼり旗の竿は何本も折れるし、庭や墓地は木の葉や枝だらけとなり、復旧に非常に 時間を要しました。市役所勤めなので、復旧は早朝となりますが、6時前ですとまだ薄暗く、作業効率も低くなります。また1時間半程度しか時間も取れず、と ても苦心しました。
 また2月の10日には10センチ弱の積雪があり、途中から雨になったせいもあり、竹林の竹が4本ほど折れ、それを撤去して、処理するのにもとても労力、時間がかかりました。
 同年代の知人とも話すのですが、体力は10年前と比べて半分にはなっていませんが、回復力は半分以下になっているので、一回作業を行うと数日間は身動きをとるのが難儀になります。市役所も責任ある立場になってきていますので、両立が次第に難しくなっています。
 今年は56歳になります。残された時間は豊富にはありません。自分のこれからの人生をよく考えて少しずつ進んでいきます。

転ばぬ先の杖(2023.1)

 当サイトの愛読者の皆様、新年あけましておめでとうございます。昨年6月に父親が逝去しましたので、お正月は喪中となり、本来はおめでとうと言えませんが、ご容赦ください。
 さて、昨年末から新年にかけては、寒い日が続きました。三が日だけは寒さが緩んで、このまま穏やかに新年が過ぎていくのかなと思いましたが、考えが甘 く、寒い日が続いています。今年は電気代は高騰しておりまして、真冬に昨年比で8千円高い、2万5千円の電気代になってしまいました。とはいえ、健康上、 暖房はケチることはできず、生活が圧迫されています。報道では増税や、社会保障関係費の増額が囁かれていますが、岸田総理にはぜひ生活者の声を一心に「聞 く力」を身に着けてもらいたいです。
 さて、この寒さもあって年末年始に亡くなる人が多く、葬祭ホールや、火葬場が満杯となり、お葬儀が1週間以上、先延ばしになるケースが多発しています。 亡くなられた方のご家族にとっては、早く、火葬・荼毘に付して魂を安楽に極楽浄土へ導いてあげたいものですが、「多死社会」になりつつある昨今。数日の待 機が普通となり始めています。この状況は僧侶としても、憂慮するべきことで、お葬式の予定がスムーズに立たないので困惑しています。僧侶の都合でなく、会 場の都合になってしまっています。
 話題はまた変わりまして、新年早々、成人の日頃の休日朝、ゴミ出しの際にビンのラベルを外すべく、カッターで切ろうとしたところ、それを持っていた左手 の手のひらまで切ってしまいました。血がかなり出て、びっくりして、急いで病院に行きました。ところが病院に着いた頃には傷がふさがって、血も止まり、病 院にかかるのが恥ずかしいほどになっていました。せっかくなので、一応診てもらいましたが、他の人のけがの状態と比べて、少し居心地が悪かったです。とも あれ、傷が浅かったのは仏様のご加護のおかげだと思います。本当に良かった。
 これを機会に、今後何をするにも、慌てることなく、落ち着いてゆっくりとやろうと決意しました。「転ばぬ先の杖」は他人が持つのではなく、自分自身でしっかりと握りしめていきます。今年も1年普通に頑張ります。

この一年をふりかえり(2022.12)

 12月になり、寒さも本格化しました。またクリスマス寒波と報道では呼んでいますが、東日本を除く全国で大雪が降り続き、交通や生活がマヒしている状況です。年末も寒さが続いて、徐々に還暦近くの体には堪えるようになりました。
 さて、令和4年を振り返ると、色々な厄があったかなと思いました。まずは新年に、ある方の事務所の固定電話に電話を掛けたところ、転送となり、その方の 携帯につながりました。その方が携帯を切ったのですが、私が電話を切らなかったため、固定電話にはつながっている状態で、通話が数時間に及び、その月の携 帯電話代が倍になってしまいました。トホホ…。
 そこから始まり、大腸のポリープの発見、入院、手術。親父の死去、車の長期間にわたる不調、交通違反での検挙、年末にはちょっとした、ダマしにあったり、色々でした。
 とはいえ、色々振り返ってみても、大きな厄もなくここまで来ているのは、仏様のご加護のお陰かなとも思います。また健康問題や少々のトラブルは日常から気を付けていれば自らが防げるものであると感じました。
 私も今年で55歳になり、来年は56歳です。ゴーゴーイヤーですが、ここ数年自重して暮らしていきたいと思います。来年は今年よりも良い年になりますように。

ワクチンいつまで?(2022.11)

 当 サイトをご愛読の皆様、朝晩の寒さが身に染みるようになりました。寄る年波とともに、体の疲れが取れず、長引いております。11月の月初めから、竹の伐 採、庭木の剪定、片付け、車の冬タイヤの交換、色々な草むしりや後片付けで目が回るほどに疲れ果てています。 よくこんなに、体が動くのだろうと自分でも 不思議に思います。
 さて、すでに4年目に入ろうとしている、新型コロナウイルスの感染拡大ですが、新しく治療薬ができるという声はほとんど聞かれません。ワンパターンのワ クチン接種だけはテレビ報道などでされていますが、接種率は低調です。おそらくワクチン接種の副反応と、実際に重症化しないオミクロン株への感染を天秤に かけて、感染を選んでいるのかと思います。感染を選ぶというと極端な意見となりますが、副反応をなるべく避けるという方がわかりやすいのかと思います。
 全世界が、治療薬を望んでいると思いますが、なかなかできないのが現状のようです。一方でサッカーのワールドカップや海外での国際会議を見ますと、マス クをしている人は少数で、感染対策は継続されているものの、「かかったら仕方ない」という考えに変化しているように思います。高齢大国である日本は、極力 感染を避けるために、行事の縮小が続いていますが、もういいかげんに「一律中止」「一律抑制」ではなく、「来たくない方は来なくて良いが、行事は開催しま す」というふうに変えた方が良いと思います。
 物価高騰やエネルギー価格の上昇により、景気が冷え切っている中で、行事やイベントをこれ以上縮小したら、日本は本当に寂しい国になってしまうと思うの です。これから神社、お寺への初詣が正月に向けて行われます。考えを転換して、晴れやかな新年を迎えられるように祈っています。

宗教とは、信仰とは(2022.11)

 朝 晩の冷え込みがとても身に染みるようになりました。とくに今年は10月に入ってすぐに、ストーブを出さなくてはならない事態に陥り、9月の真夏日から一転 して12月頃の寒さの日もあるという非常に過ごしにくい日々となっています。さら16日間、丸1日晴れなかったという雨続き。暑い日々よりはましですが、 曇りと寒さはこりごりです。
 さて、安倍元首相の銃殺事件から、話題がもちきりの旧統一教会の問題ですが、想像を超える多くの人々がいわゆる「被害」に遭っており、関係する親族にも 多大な影響を与えていることが、日々報道されています。年収の3割を寄付することが推奨され、同時に高額な経典や仏具を購入することにより、先祖の犯した 災いから逃れられるという教えであるとも報道されています。年収の3割は500万円の人であれば150万円であり、一生のうちに150万円であればわかり ますが、1年で150万円は常軌を逸脱していると思いました。一方でそれほどまでにして、救いを求める人の存在が一定数あることに宗教に携わる者として関 心が深まりました。
 私のあくまで個人的な考えですが、宗教というのは「心の拠所」であり、宗教が自分自身と同一であったり、自分の生きる世界全てであることはないと思います。つまり、原点には自分自身や自分の人生があり、それを支えるために宗教はあるのだと考えるのです。
 世の中には、様々な宗教があり、信じる人がいる限りその宗教を否定することは決してしませんが、自分の体や、自分の人生、家族を含めた自分の幸せな生活を、脅かすものは、私の考える宗教ではないと思います。
 宗教問題は、根本的な解決はなく、長い時間議論されたものであり、今日、明日に答えがでるものではありません。とはいえ、一度きりの人生である一生を幸せに生きるために、支えとなる宗教であるものが本当の宗教であると私は信じて止みません。

「二足のわらじ」〜人生の集大成〜(2022.10)

 令和4年9月は、安倍元首相の国葬でメディアの話題が持ち切りの時期でした。またその約1週間前にイギリスのエリザベス女王がお亡くなりになった後のやはり国葬があり、国を代表する方の葬儀が大きく報道で取り上げられた、象徴的な期間でもありました。
 「葬式仏教」と揶揄される嫌いもありますが、やはり僧侶、寺院にとって葬儀は、セレモニーという意味でも、故人を追悼するという意味でも、その規模の大 小や華美、質素はあれども、思い出を語り、悲しみを癒す貴重な場であると考えます。安倍元首相とエリザベス女王の国葬を比較するのは、不謹慎かとも思いま すが、ほぼ全世界の人々、もしくは、ほぼ全国民が哀悼の意を自発的に示すという空気が無ければ、形は国葬ですが、気持ちの入った本来の国葬とは違うのでは と思いました。反対のデモもあちこちであったようですが、色々な意見があって良いと私は思います。一番大切なのは意見を言えるという自由が保障されること です。
今回も今後も日本の主要な方の国葬についての議論が深まっていくことを期待します。
 話題は変わりまして、先日「月刊仏事」という雑誌の取材を受けまして「お坊さんの2足のわらじ」という特集に掲載されることになり、実に今月、令和4年 9月号に掲載されました。内藤さんという敏腕のライターの方が、実際以上に上手く執筆していただいたおかげで、自画自賛のようですが、私の先祖から私の人 生、そして現在の状況を最も「良い感じ」な記事にしていただいております。
 この記事をあたらめて読んで、私の今まで駆け抜けてきた20年以上の「2足のわらじ」人生を振り返ることができ、まさに50代中盤にして、大袈裟ですが、この記事が「人生のひとつの集大成」とも感じ、感慨もひとしおでした。
 記事は「月刊仏事」のウエブサイトからも見ることができます。興味のある方は、のぞいてみてはいかがでしょうか。また完全版はバックナンバーとして購入することもできるそうです。こちらも興味のある方はどうぞ。
 秋の気配が、朝夕感じられるようになりました。すこしほっと一息です。これからの長い人生「2足のわらじ」。あせらずゆっくり生きていきます。


焼かれる思い(2022.9)

 先 月、先々月の当サイトで、記録的な連続猛暑と書きましたが、8月の下旬になり少し落ち着いていますが、お盆の準備や境内整備の草刈り、草むしりでは、非常 に難儀しました。50代も後半に突入していくと、スタミナは切れ、体力は続かなくなってきます。高齢社会ですので、周囲からは「まだ若い」とのお言葉を頂 きますが、立派な「おっさん」でございまして、体のキレがありません。
 暑いと、夜も自然に熱帯夜となります。それゆえに寝苦しくて眠りが浅くなります。昼間の暑さと夜の寝不足が続いて、体力を見る見るうちに奪っていくのです。朝は涼しいかというとそうでなく、朝から30℃近くて起きたとたんにエアコンです。
 雨も適度に降っていますので、草は伸び放題でむしってもむしっても、また生えてきます。さらに驚いたことには7月に入ってもまだ竹が新しく生えてきました。日本の気候が南国のようになってしまったかのようです。
 幸いにも、今年は暑すぎるのか、2年連続でやられていた、虫刺されは今のところなく、皮膚科のお世話にはなっていません。これだけはラッキーだと思います。
 今年は、家の中にいても、また外に出ても暑くて、まさに「焼かれる思い」の夏です。早く涼しく過ごせる季節になつてもらいたいものです。


天変地異かも(2022.8)

 先 月の当サイトで、記録的な連続猛暑と書きましたが、その結果、なんとリュウノヒゲが茶色に熱枯れして、見るも無残なまだら模様になってしまいました。思い 起こせば、積善寺に新しく移り住んだ平成25年から約3年くらいは、草が生えないように庭木の下の草をむしっては、リュウノヒゲを少しずつ植え、大切に育 ててきたものですから、泣きべそをかきたいくらい、心がしぼみました。
 その猛暑が1週間以上続き、いよいよ雨が降るとなった、7月12日の火曜日。午後より空から待望の雨が降り注ぎました。終業後に帰宅しようとしたら、と ても雨足が強くて、困惑しましたが家へとたどり着きました。家で夕食後お盆の塔婆を書いていると、嵐山町、鳩山町、東松山市に記録的大雨情報発令とテレビ で報じていました。あまり大したことがないと聞き流していましたが、身近な景色がテレビ放送され、被害が報じられると他人事には思えなくなりました。
 その時、ふと携帯電話を見ると、災害時に発信される「職員参集メール」が届いていました。「緊急配備なので、すぐに市役所に集合せよ」という内容なの で、ジャージのまま車に飛び乗り、市役所に向かいました。自宅のある嵐山町は雨が落ち着いていましたが、職場のある市は一番雨が激しい時で、道中はワイ パー全開で、さらに自動車から降りて市庁舎に向かう3分ほどの道のりで、頭から足先までずぶぬれになってしまいました。
 市役所では災害対策で職員が集まっており、それぞれの持ち場で役割を果たしていました。手前味噌のようですが、メール一本で災害対策の組織があっという 間に出来上がる組織力には脱帽しました。午後10時頃から職務に従事し、私は緊急の用に該当しない部署でしたので、午前2時頃雨足が落ち着いたため解散と なりました。
 台風でない大雨で、避難所が開設されたのは、私の経験では例がありません。これからは今までの経験での考えだけでは立ちいかない時代となりそうです。天変地異という言葉が脳裏をかすめました。とにかく死者などの大きな被害が出なくてよかったと思いました。

色々な別れ(2022.7)

 去 る6月23日、実父である新井右(すすむ)が逝去しました。コロナ禍の中、近親者で葬儀を行い、一般の方は御志を含め、ご遠慮いただきました。父は群馬県 の猿ヶ京温泉の近くより、嵐山町杉山に婿入りし50年以上も地域と共に生き、また家族を支えて暮らしてきました。丁度父が寺院の婿となったご時世である昭 和30年代は、農地解放等の影響で寺院は経済的に貧しく、どこの寺院も学校の先生や、公務員、養蚕等で暮らしをつないでいました。群馬から婿入りした父は サラリーマンをしながら家族を支え、先に遷化した祖父、そして同居していた曽祖父が僧侶でありましたが、経済的な事情が主として僧籍を取ることはありませ んでした。
 父は、定年退職頃に膀胱がんを患い、膀胱を全部摘出してしまい、人口膀胱で暮らしていました。その後胃がんを患い、さらに胃がんが再発、20年以上も入 退院を繰り返していました。しかしその合い間には、積善寺の境内整備、近所づきあいなどを行い、一定の役割を担っていました。最後の半年は、歩くのもまま ならず、自宅で介護となりました。
 最後頃の状態は医師が老衰といいましたが、まず歩けなくなる、そして食べられなくなる、そして話ができなくなる。というまるで老木が枯れていくような終 わり方で、安らかに往生しました。仏教に生病老死とありますが、生きて病を超えて、老いて死ぬ。それを実際に目の当たりにしました。自分がこれから進む道 を垣間見たような気もしております。
 父が亡くなってから、記録的な猛暑です。「寒い、寒い」が口癖でしたから、これほど暑くなったのかもと思い、これからの多忙な季節に自身の健康を心して 維持してまいりたいと思います。皆様よりの父への生前のご厚誼に感謝し、今後残された家族へのご指導、ご鞭撻をお願い申し上げます。


健康が第一【続々編・最終章】(2022.6)

 お 世話になります。当ホームページをご愛読の皆様、今回は先々月からの続きでございます。先々月に内視鏡検査でポリープが見つかり、先月は入院し、内視鏡で手術でした。今月は以降の後日談です。
 退院したその日に、人間ドックで気になっていた「腎盂拡張」の診察を受けに、同じ病院の泌尿器科を受診しました。泌尿器科はとても混んでいて、一時間位 待ちました。ようやく呼び出されて、受付に行くと「新井さんは本日は入院していたので、外来は受診できません」と言われました。よくよく聞くと、支払いの 関係で本日は「入院日」となっているので、外来は受診できないとのこと。困り果ててなんとか受診をお願いすると、「入院中に泌尿器科の医師の診察を受けた ことにする」方法で受診できるようでした。
 安堵して、医師に「腎盂拡張」の事を話し、3年前にやはり拡張がありCTの検査を受けたが異常はなかったこと。3年前と今回の拡張の度合いはどのように 異なるのか等を尋ねました。医師は「3年前より拡張の度合いは少ないが、明らかに拡張はある。自覚症状が無いならば、半年後の人間ドックで同様の異常が出 たら精密検査を受けてはどうか」と言われました。「腎盂拡張」についてはとりあえず終了となりました。
 話題は大腸に戻り、退院2週間後に内視鏡で採取したポリープの組織検査の結果を聞きに外科を受診しました。ご多聞に漏れず、大変な混雑で予約診療といえ ども予約時間を30分以上も経過して呼ばれました。結果は採取した組織は全て良性でした。3年後位に再度内視鏡検査を受けてくださいと言われました。これ も一安心。
 最後は必要か否かは迷いましたが、その日に「ドルーゼン」と言われた眼科を受診しました。本来であれば瞳孔を開く散瞳という処置をして検査をするという のですが、あいにく自動車で来院したものですから、限定的な検査となりました。網膜を目視で見たり、中心部分の検査を行ったところ、視力に影響のある場所 にはドルーゼンはできていないとのことでした。結局午前中は全て受診に費やしてしまいました。
 今回は、大腸、腎臓、眼と色々な体の老化や不調がでてしまいましたが、それらを受診して医師に聞くことにより、重篤な状態にならないよう予防できたと思います。手間、ヒマ、金はかかりますが、なにより健康が第一です。3か月の間、ご愛読ありがとうございました。
 今後は健康ネタ以外で書き綴ります。宜しくお願いします。


健康が第一【続編】(2022.5)

 お 世話になります。当ホームページをご愛読の皆様、今回は先月の続きでございます。先月は内視鏡検査でポリープが見つかったところまででしたが、今月はそこからです。
 検査後あらためて、外科の外来を受診して内視鏡でのポリープの切除手術を希望、予約しました。手術は一泊二日の入院となるそうです。その日は予約後すぐ に帰宅できるかと思ったのですが、一泊でも入院は入院で、一通りの入院の注意事項の確認と家族状況の聞き取り。また血液検査、心臓エコー、腹部レントゲン などがあり、たっぷり3時間はかかってしまいました。時間と体力がないと病院にはかかれませ〜ん。
 さて、入院当日は朝5時半起きで下剤を2リットル飲む儀式を前回の検査同様に行いました。おなかを綺麗にして正午に妻と共に入院センターに行き、病棟の ベッドへ。生まれて初めて「点滴」をしました。丸1日は絶食になるからだそうです。点滴装着後は手に針が入っているので、まったく不自由になってしまいま す。トイレも着替えもとても体が動かしづらくなります。でもなぜか不思議と痛くないんですね。
 さて、ほどなくして内視鏡でのポリープ切除。内視鏡がお尻から入っていく過程や感覚は前回と変わらない感じでした。ただ切除する瞬間と傷口をクリップで 止めるのがモニターでリアルに映し出され、途中から目をつぶってしまいました。医師によるとクリップは5ミリくらいの大きさだそうです。クリップを3個位 つかって切除した傷口をふさいでいました。
 30分弱で手術は終わり、結局4個のポリープを切除したそうです。その後車いすに乗せられて病室へ戻りました。コロナ禍なので病室のある階以外の移動は 厳禁で、持参したスマホやミニノートパソコン以外は見れず、新聞、雑誌が買いに行けないのがとても苦痛でした。部屋は4人部屋で私以外の入院患者も白内障の手術等の短期入 院の方でした。
 手術が終わったのが午後2時半位で、それからペットボトルのお茶を飲む位しかやることがなく、とにかく、ひまでひまで家の日常の有難さが身に沁みまし た。看護師さんが定期的に点滴の確認や、検温に来てくれるのは心強いのですが、夜中にも来てくれるのでそれは眠りを大きく妨げて眠れませんでした(失礼)。結局2時間 位しか眠れず、5時に外が明るくなると同時に起床しました。
 翌日は待望の朝食。ただ「おかゆ」ときいていたのですが、パンが出てびっくり。良く良く聞くとおかゆと同じく消化の良いパンだそうです。おなかの中にク リップがあるので、こわごわ食べました。とにかく、ひまでしたが10時半頃退院。生まれてはじめての入院体験は無事終了しました。退院できたのも健康な証 拠。今後も体に気を付けて、元気に楽しく生きていきます。皆様応援宜しくお願いします。


健康が第一(2022.4)

 お 世話になります。当ホームページをご愛読の皆様、一か月ぶりでございます。お元気でお過ごしでしょうか。先月今年の冬の寒さを書いたばかりですが、3月に 入りまして、暖かい日が続くようになった矢先、お葬式が3件立て続けにありました。季節の変わり目で体調を崩されたようですが、冬から春、夏から秋などの 節目はぜひご自愛なさいますようお願い申し上げます。
 さて、先月人間ドックを受診しまして、結果が来ました。検便の結果、「便潜血反応」が2日のうち、1日分に出ましたとのこと。さっそく「大腸内視鏡」の検査が必要だということで、内視鏡を受けてきました。
 色々な経験者のブログを見て、下調べをしておきました。その中で辛いのが「大量の下剤を飲むこと」だそうですが、実際に自分で体験しても辛かったです。 朝食抜きで、総量2リットル強の下剤を15分ごとに、少しずつ分けて約2時間半かけて飲みます。1時間位で便意をもよおして、トイレに駆け込みますが、下 痢をしながら下剤を飲まなくてはならず、その下剤の味もスポーツドリンクの薄いような味で、うんざりします。
 さらに昼食抜きで病院に行き、内視鏡検査を受けますが、受診した病院は麻酔は打たずに、しっかりとした意識の中で内視鏡を大腸の中に入れるので内視鏡が 入っていく時に、引っ張られるような痛みを感じました。ただ激痛ではないのがせめてもの救いでした。モニターで自分の大腸の中を見ることができましたが、 あまり気分の良いものではなく、早く検査が終わることを祈っていました。
 検査の結果ですが、悪性の腫瘍、ポリープはなかったのですが、ある程度の良性のポリープが見つかり、放置しておくと数年後に悪性化する可能性があるの で、日を改めて1日入院して内視鏡で手術することになりました。半分ほっとしましたが、「また内視鏡かあ、やれやれ」とも思いました。
 人間ドックでは、他に腎盂の拡大や網膜の異常も指摘されました。令和4年度は人事異動がなかったので、あまり忙しくない部署に留まりました。今年は休暇を使いつつ、体のメンテナンスをする年にしていこうと思います。なにより健康が第一です。


久しぶりに寒い冬(2022.3)

 ホームページをご愛読の皆様、お寒うございます。2月も下旬になっ て少しだけ気温が上向いてまいりましたが、ことしの冬は特に2月は寒かったと思います。実際に熊谷気象台の今年2月の平均気温は日ごとの平均の積み上げで 4.0℃です。大雪に見舞われた平成26年が3.7℃でありましたが、その後は概ね5〜7℃位をキープしていました。今年は、北国の大雪の影響からか、冷 たい北風が毎日のように吹いて、凍えるほどの空気だったと記憶しています。私も今年55歳になりますので、寒さに体がこたえます。
 話は少しそれますが、「55歳」といいますと、普段付き合っている檀家様は年配の方が多いので、「まだまだ若い」と言われますが、実際に働いている世代 の中では、定年が60歳でごさいますので、かなり年のほうです。「定年を迎えて仕事から離れると、どんどん若返る」「退職したら、血圧や血糖値が一気に下 がった」などの話も、あちこちで聞いたりします。「金とる病は死ぬ病」という泣き言もありますが、勤めは寿命を縮めます。できることなら、リタイアしたい なぁ。すぐにはできないけど。(笑)
 冬が寒いと、身が引き締まり緊張感が増すという、仏教者としては修行になるというメリット(?
)もありますが、やはり寒いと色々なデメリットもあります。特に今年は燃料費が高騰しています。ガソリン、灯油が高い。とくに灯油は自宅付近で1リットルで105円もしています。また知らないうちに、電気代も値上がりしており、家計を圧迫しています。
 早く暖かい季節が来てもらいたいです。でもちょうど良い、過ごしやすい時季というのはあっという間に過ぎてしまうものです。春は束の間。暑い夏がまた来ます。健康に気を付けて、50代中盤を生きてまいります。

コロナとの共生(2022.2)

 当 サイトを愛読されている皆様、いつもありがとうございます。今年の年明けはコロナが落ち着いており、今月分を書く頃には「収束」に向かっていると勝手に考 えておりました。明るい兆しが今年は見えると期待していました。ところが変異株であるオミクロン株により、国内の感染者数は過去最高を記録するなど、今年 も行先が暗く暗雲が立ち込めてしまいました。
 長引くコロナ禍で飲食店や企業の休業・勤務制限による、給付金の給付も長期間に及び、よくよく考えるとその財源は「借金」であることから、コロナが長引けば長引くほど借金が増え続け、日本の将来が暗くなっていくことになります。憂慮すべきことです。
 コロナ禍も3年目に突入し、過去にも記していますが、行事や祭祀の「止め癖」がついてきているのも本当の所です。今回の変異株の出現で学んだことです が、これはほぼ永遠にコロナウイルスは変異し続け、なくなることはないと考えました。つまり「コロナがなくなる」ということは有り得ないということです。
 今までは「コロナがなくなったら再開しよう」というような考えで、様々な行事を先延ばししてきましたが、コロナがなくならないという前提で、「感染防止 策」をきちんと講じた上で色々な社会活動を再開しないと、本当に地域社会や、経済活動が終わってしまいます。一方で、大勢の中には「何が何でも参加したく ない」人もいるでしょうから、その人にはその意思を尊重して不参加も有りということで色々な行事を、規模や方法を再考して再開すべきだと私は思うのです。
 令和4年は「コロナとの共生」の年であると思います。北京オリンピックもまもなく行われます。コロナと共生してオリンピックだけでなく、色々な伝統行事や人々の集まりを再開することを望んで止みません。

ネットの中傷の怖さ(2022.1)

 当サイトの愛読者の皆様、新年あけましておめでとうございます。令和も4年となりました。今年こそは色々な物事が落ち着いていく年となってもらいたいものです。ワクチンも3回目を打つ方々も多くなると思います。安心して暮らせるそんな年を期待しています。
 さて、皆様がご覧になっている、このインターネットの記事ですが、私が自覚している限りでは、世の中を批判したりしていることはありますが、個人を批判したり、攻撃していることはないと思います。特に個人名や会社名を特定して書いていることはありません。
 ここ数年、SNSやウエブサイト等で、個人が中傷され、それが原因でひどい場合は「自殺」に至るケースも報道されています。特定される個人は、名前まで 明らかにされて、中傷されてれいますが、中傷をする側、攻撃する側は名前はもちろん、性別や、その人物を想像することもできません。まさに、攻撃するだけ の目的での中傷で、そのコメントはまさに「凶器」です。
 私も、先月何気なくネットを見ていると、個人名を出されて中傷されていました。中傷の中身は全くのウソではありませんが、中身の前後には、そこに至った 理由や、その後の解決もあり、一部分だけクローズアップされていましたので、まさに「根も葉もない」事柄です。ただそれを見た人は私が悪いように思ってし まうでしょうが、実はそれは真実ではなく、中傷する側の都合の良い取り上げ方でした。
 私は、自分の身に起こったことに、悲しみを覚え、これに類似することをされて「自殺」した方の悲しみが理解できました。私は自殺をしようとは思いません が、心が傷つきました。インターネットはとても便利で、色々な幸福ももたらしますが、使い方次第では人々を不幸にします。どうか少しでもこのような中傷が なくなることを願ってやみません。
 新年早々、重い話題となりましたが、少しでも皆さんが、心を明るい方に向けて、今年1年を清々しく過ごせますように、私の暗い経験をバネに心からご祈念申し上げます。今年もよろしくお願いいたします。