住職近況 バックナンバー (2010〜2015)


今年も終わります(2015.12)

 平成27年もいよいよ年の瀬を迎えました。比較的暖冬でまだ木々に落ち葉が残っています。年末の大掃除で一度きれいにしても、新年早々に再度やり直しかもしれません。落ちて積もった木の葉をどけると、その下では力強く芽をふいている花もあります。
 大掃除で2階の窓を拭いていた時、ふと手を止めてベランダに出ると、非常に眺めが良いことに驚かされます。いかに日々忙しくて、窓の外を見ていなかった か少し恥ずかしい思いもします。2人の大学生の子どもが社会人になり、経済的な束縛から離れたら、サラリーマンの世界から引退しこの眺めを楽しみたいとも 思いました。
 春から秋にかけて、活発に活動したクモも、今はその巣を残すのみで姿は見られません。主の無いクモの巣を笹の葉で払います。クモの巣を片付け始めたら、なんとその数の多い事か。自然の力に頭が下がります。
 掃除をしながら、2年前に新築した住まいと、江戸時代の作りの本堂を何度となく往復して気づいたことですが、同じ室内とはいいながら、その内部の寒さの 違いには驚かされます。昔は冬はさぞや寒かったことでしょう。またお手洗いも洋式の暖房便座ではなかったので、用を足すのも大変だったと思います。
 往昔の人々の生活に思いをめぐらせつつ、年男であったこの1年も無事に終わりそうです。


虚像の世界(2015.11)

 今の若者が、最も生活の中で注目している一つには「スマートフォン」、いわゆる スマホがあると思います。通信はもちろんですが映像や音楽を始め、電子書籍を読んだりや買い物にも使え、果てはカメラやビデオカメラの代わりにもなりま す。すべての生活がスマホに凝縮しているかのようです。先日息子のスマホの更新に付き合ったところ、本体が10万円以上もするのには驚きました。関連して の話ですが、通信機器、通信費の高止まりが生活苦を増やしているとの新聞記事も記憶に新しいところです。
 さて、般若心経というよく耳にするお経があります。これは玄奘三蔵、平たく言う「三蔵法師」 が天竺(インド)から持ち帰った大般若経というお経の要素を拾い上げたもので、比較的分かり易いお経です。概要は「この世の様々な現象は、全て虚像であ り、目や耳や感覚で捉えているものから由来する、怒りや悲しみの感情は全て実体の無いものである」というものです。
 話は戻りますが、スマホから得られる情報は、正確なものもありますが、風景や音、また匿名の 掲示板などの情報は全て「実体の無い」ものであります。三蔵法師が現代のスマホの普及を目の当りにしたら、さぞや悲嘆にくれると思います。実際に起きてい ることがすでに虚像であるのに、その虚像を記録してそれを見ている人々が喜怒哀楽にふりまわされている状態だからです。通勤電車ではスマホを操作していな い人を探すのが大変なほど、スマホが巷にあふれています。
 生活が便利になる事自体は良いことだと思います。しかしスマホだけではなく、色々なコミュニケーションのあり方があるというのを今一度社会全体に呼びかける必要を強く感じてしまう今日この頃です。


休日の「トラック野郎」 (2015.10)

 秋も次第に深まり、落ち葉の季節になりました。また竹林も古い株は伐採し新しい 株に入れ替える時期となってきました。庭木の枝おろしを行うのもこの時期です。普段は市役所勤務でありますので、土日中心に境内の整備を行っています。こ のことはかねてより、当HPで皆様にお伝えしています。境内整備には、息子、そして妻の助成も不可欠ですが、なんといってもその次に力になるのが、「軽ト ラック」です。
 軽トラックは実は父の所有なのですが、休日は枯葉や枝、そして竹を積んで大活躍です。もう10年以上経過した車両ですが、かえって細かい傷などを気にせ ずに使え、便利です。また小回りがとても効き、さらには4WDなので急な坂道や当山の裏山のような悪路でも、ぐんぐん上がっていきます。
 ガソリンを入れる時以外は、境内と裏山から出ることはほとんどありませんが、この車なしでは、積善寺の運営はままならないと言っても過言ではありませ ん。時には息子を乗せ、時には妻を乗せ、2シーターで裏山を疾走します。週末はさながら「トラック野郎」でございます。トラック野郎といえば、かの菅原文 太さんや愛川欣也さんも、ここ数年で鬼籍に入ってしまいました。お二方の偉業を思いつつ、週末のトラック野郎は今年も汗かいています。


多様な社会だからこそ感謝を(2015.9)

 過日新聞に次のような記事が載っていました。”化粧品会社の「資生堂」は美容部 員BC(ビューティーコンサルタント)をはじめ、女性社員が多く、積極的に育児休業や育児短時間勤務を推進する「子育て先進企業」であったが、育児短時間 勤務を取得するBCが増え、組織が円滑に運営できなくなったため、育児短時間勤務中のBCにも、可能な限り時間外や休日勤務をしてもらう形態に方向転換し た。”
 資生堂といえば、子育て応援の先進企業でありましたが、育児中の女性社員が増加したため、このような対応となったそうです。しかし根底には「当然のよう に、短時間勤務で他の社員より早く帰宅するBCに他の社員からの不満が多かった」原因があるようです。制度があるから、当然人より早く帰れる。という気持 ちは分かります。ただ記事にはBCの多くが「感謝の気持ち」を他の職員に示していなかったとも書かれていました。
 今年は戦後70年。悲しい戦争を経て、わが国日本は「自由な国」となり、国民は法律に触れない限り、あらゆる行動が許されています。男性、女性、未婚、既婚、若年、老年問わず、発言やふるまいは「常識はずれ」が「個性」に変わり、本当に自由な社会となりました。
 今回のこの新聞記事は、このように多様な社会を上手く、みんなで生きていくのに必要なのはやはり「感謝」ではないかということを物語っています。「高齢 者だから、年金がもらえて、福祉が受けられるのは当然」とか、「子育て中だから、育児の制度は当然に使える」という態度が表面にでると、やはり社会は上手 くいかない。「ありがとうございます」「お蔭様です」「感謝しています」という気持ちを言葉で表していくことが、これから大切なのではないでしょうか。大 切なのはスマホのメールではなくて、肉声だと思います。


初めて家族で比叡山参拝(2015.8)

 8月22日から2泊3日で滋賀県大津市に観光旅行に出かけました。初日は朝4時 半に家を出発。息子は来年3月に比叡山に修行に行く為、新幹線で後から追いかけます。関越道、外環道、新東名、伊勢湾岸道、新名神と乗り継ぎ、11時半に 比叡山山頂へ到着しました。息子とはほぼ同着で合流することができました。
 早速東塔の売店でおそばを食べて、まずは横川へ。横川中堂、元三大師堂を見て、修行の地、行院も外から見学しました。折しも本堂へ入堂するところで修行 の様子も垣間見ることができ、息子も満足でした。そして西塔へ。伝教大師最澄様の墓所である浄土院や釈迦堂を見て、いよいよ東塔へ阿弥陀堂、戒壇院、そし て根本中堂を観ました。根本中堂は現在改修中であり、足場がたくさん組んでありましたが、十分に参拝できました。
 夜はそのまま延暦寺会館へ宿泊。おいしい精進料理をいただき、早めに寝ました。そして翌朝6時半には根本中堂で朝の勤行を行いました。そして貴重な法話を聞くことができ、家族も大満足でした。
 次の日は、下山し、紫式部ゆかりの石山寺、そして少し足を延ばして宇治平等院、最後に三井寺を参拝し、大津プリンスホテルに宿泊しました。夕食はヴュル ツブルグというドイツ料理のコースを食べました。非常に満足して、その後は琵琶湖のなぎさ公園を散策。ホテルの窓から琵琶湖の夜景を楽しみながら最後の夜 を満喫しました。最終日は彦根城によって、歴史や文化を堪能しました。帰宅は午後5時過ぎでした。全部で1200qほど走りましたので、大変骨が折れまし た。
 はじめてで、そして最後になるかもしれない関西への家族旅行、そして比叡山参拝。思い出に残る旅でした。無事に言ってこられたのも、ご先祖様のお蔭です。ありがたや、ありがたや。


よみがえった先祖様(2015.7)

 皆様、本当に暑い夏となりました。平日事務仕事で市役所勤務、夕方や土日は寺で 草刈りの繰り返しで冷房と酷暑の空間を交互に行き来しているため、体調を崩してお腹の調子と頭痛がここ数日続きました。ですが体を休めたり、水分補給をこ まめにした結果、どうやら落ち着いてきました。まだまだ暑い夏が続きますので気を付けたいと思います。
 さて、積善寺の本堂には私の祖父である「純田」と祖父の弟の「永田」と母の兄の「武久」の遺影が並べられています。そのうち「純田」と「永田」の写真はシミや破損がひどく、いつも見るたびに「どうにかならないものか」と頭をひねっていました。
 するとある日、新聞の折り込み広告に「写真を復元・修正」という内容のものがありました。よく見るとシミや破損した写真を復元・修正し、しかもそのデー タも渡してくれるという写真店でした。早速意を決して、両氏の写真を持って、その写真店を尋ねますと「十分に直せるレベル」とのこと。さらによく聞くと、 写真をスキャンしたデータをニュージーランドに送り、彼の地の芸術家がモノクロ写真をカラー写真に仕上げて復元してくれるとの説明がありました。期待を十 分こめて復元・修正をお願いすることにしました。料金も1枚約9千円と安くはありませんが、亡くなった方は再度写真を撮ることができませんので、妥当な値 段だと思います。
 待つこと約2週間、写真が出来上がってきました。寺に戻って見てみると、これが元来ボロボロの写真だったとは思えないほどの仕上がりで、びっくり。さらにカラー化していますので、生きているようで、なにやらこちらに話しかけてくるような雰囲気です。
 早速額に入れて、本堂に掲げました。これから毎日、生まれ変わったご先祖様の写真と一緒に勤行を行うことができます。自分だけではない、色々なご先祖様 に支えられて生きている。まさに僧侶として私が常々檀家様にお伝えしていることが実践できます。技術の進歩にただただ感謝するとともに、これからさらに身 を引き締めて精進してまいります。


乾燥していた今年の五月の感想
(2015.6)

 今年の五月は雨が記録的に少なく、さらには真夏日が続いたため、農作物に被害が 出たそうです。被害が出たのは農作物だけではなく、当寺の一昨年に植えたマサキの垣根もことごとく乾燥し、葉っぱが落ちて枯れてしまいました。そればかり か二十年以上も植えてあり根付いたサルスベリや菩提樹も樹の上部三分の一程が茶色く変色し、弱ってしまいました。
 大きい木は別として、垣根のマサキは正面にありますので、枯れてしまっては見かけが悪いだけでなく、駐車場の境を示す役も果たしませんので、すべて撤去 し、植え替えました。今回は再度枯れることの無いように、土を入れ替えて根が張りやすいようにし、根の周りにあった石も除去しました。植えるといっても全 部で50本もありますので、三週に分けて汗だくになって作業を終えました。枯れてしまったのはキンマサキという種類だったのですが、今度はオウゴンマサキ という種類にしました。キンがオウゴンに昇格したので、枯れないのを祈るばかりです。
 話は変わりますが、今年は終戦後70周年ということで、悲惨な戦争で奪われた貴重な命を供養し、二度と戦争を繰り返さない決意をあらためて固めることを 目的に、檀家様はじめ、地元杉山地区の遺族の方にも呼びかけて、合同供養法要をお盆の施餓鬼に合わせて行うことを予定しています。5月に皆様にお話をした ところ、快く同意していただけました。戦争は悲惨で、悲しいことですが、事実を風化させることなく、平和な生活が送れるように、節目節目に供養を行うこと は重要だと考えています。またもっと飛躍して考えると、戦争や争いを疎む気持ちは地域や近隣が仲良く、和やかに生活できる空気を生み出しているのではない かとも考えます。
 枯れた植木を掘り起こしていると、古い茶碗のかけらが土の中から出てきました。昔の食卓にはどのような食べ物が並んでいたのでしょうか。戦争ももちろんですが、歴史を重ねた結果、今の我々の豊かな暮らしがあることを忘れずに生きていきたいものです。


タケノコに見る「育ち方」 (2015.5)

 当寺は、裏に竹藪を背負っており4月下旬〜5月上旬にかけて「タケノコ」を味わ うことができます。竹の種類は孟宗竹なので、丸々と太ったタケノコが次々と出てきて、それを掘って湯がいた後、煮たり焼いたりして食べるのは絶品です。掘 り方にもコツがありまして、下の方に赤いポツポツのような根がありますが、そのあたりをめがけて一気に鍬を振り下ろすのです。この鍬のコントロールには多 少熟練が必要でして、失敗すると土を掘ったり、タケノコを上の方で切ってしまったりするのです。
 贅沢な様ですが、丸々としておいしいタケノコは掘って持ち帰り、知人に配ったり自分で食べたりするのですが、細く曲がっているものは、そのまま掘って処 分してしまいます。スーパー等で売られているタケノコは非常に高価なので、勿体ない気もするのですが、曲がっている竹を生やすわけにはいきません。タケノ コが高価な理由は、広い土地でなくては竹藪はできないということと、伐採したり草刈をしたりする手間だと思います。本当に竹藪の管理は大変です。
 春に今年成長させるタケノコを選び、それが成長したらその本数だけ古い成竹を伐採します。成長させるのは太くてまっすぐなタケノコを選ぶのですが、途中 で曲がってしまうものや、場合によっては上の方が枯れるものもあります。これは人間がどう手を加えるかではなくて、自然にそうなってしまうのです。小さい ときには太くて丈夫そうでも、成長していくうちに曲がったり、枯れたりしてしまうのです。これを見て「育ち方」は人間と似ているなと思いました。「育て 方」がいかに良くても、その者が本来持つ素性により途中で予想外の成長をしてしまうのです。これをよく「期待はずれ」といっていますが、タケノコを見てい ると成長していく人間に過度の期待は禁物だなと思いました。また「期待はずれ」の逆はなく、竹は曲がって生えたものが、予想に違いまっすぐ太くなることは ありません。
 総合して考えると、幼い頃に人間の素性というのは大体決まる。ただ素性の良い人間でも途中曲がっていくこともある。ということになります。私も今年で48歳になりますが、まだまだ人生は長いと思います。「曲がる」ことのないように、真直ぐ生きていきたいと思います。


時間の偉大さ(2015.4)

 拙僧は、地方公務員として勤め丸25年を経過しました。ささやかながら勤務先か ら表彰状をもらいまして、時間の流れというものを実感しています。勤務25年と一口に言いましても、産声を上げた赤ちゃんが結婚してもよい位の年まで成長 するまでの期間を一つの勤務先にいられたというのは、自分の努力半分、また周囲の手助け半分ということで、ただただ感謝することのみです。
 さて、私が積善寺に庫裏を新築し、転居してから約2年が経過しました。転居したてのころは、周囲に関してあるがままの状態で住んでいたのですが、いまま で無住の寺であったことから、色々な人が色々な「木」を多数植えたことからその枝おろしと手入れで昨年忙殺されてしまいました。その経験から昨年1年かけ て、必要な木と不要な木を区別し、適当な間隔で樹木を整理しました。さらにはいつの間にかはびこってしまった、グランドカバーといわれる草花も整理し、昨 年1年で「スッキリ」したお寺に替えました。
 その際に木を抜いたり、グランドカバーを取り去った後には、シバザクラやリュウノヒゲを植えてシンプルにスッキリ感を出そうと試みました。その甲斐あっ てか、この春にはシバザクラやリュウノヒゲが少しですが増え、さらには間が空いたところにうえたヤブランも新芽が伸びてきました。きちんと植物は植えた様 に育つものだと感心しつつも、まだ隙間が十分に埋まらなくて、やはり時間をかけて庭というものはつくられていくのだなと思いました。
 積善寺も500年近く開山から経過しています。最初に住職となった祐源和尚は500年後の積善寺を想像していたでしょうか、時代の流れを重く受け止めるとともに、今後も私が生きている間は境内の管理を続けていきたいと強く思います。


落ち着いて始まる春(2015.3)

 当HPをご愛読の皆様、いつもお世話になります。プロバイダのレンタルサーバーのサービスが終了いたしまして、新たなURLでのスタートとなります。今後もよろしくお願いします。
 さて今年は2月から雨が多く、とくに週末は寒くて雨模様が定例となっていました。ここ数日は幾らか穏やかな日もありますが、こんなに寒の戻りが顕著な年も珍しいと思います。寒いと体の調子が悪いような気もして、さらには気分も上がらなくなり悪循環の毎日でございます。
 そのような中、東京での桜の開花も伝えられ、春の便りも聞かれるようになりました。当寺の庭も昨年1年かけて、大分手入れを行いました。伸び放題だった 枝はきれいに選定を行い、草だらけだった庭の一角もきちんと除草し、山野草を植えました。その結果今年の春は枝の新芽や山野草の落ち着いた風情で、春が始 まっています。私も子供を持つ身でございますが、子供も躾が必要なのと同様に、庭の草木もきちんとした手入れが必要なのだと実感しています。一度手入れを 行うと翌年の手入れは「そこそこ」で済むものです。こつこつとした努力が大切なのを実感しました。
 ですので、皆様もいっぺんに全てをしようと思うと腰が重いと思われますので、できることから少しずつ始めるというのはいかがでしょうか。落ち着いて始まる春。自分の庭の草木に教えられたような気がします。


若い力の活躍に大きく期待(2015.2)

 先日、私地方公務員のそれも人事担当を現在している中で、縁あって「地方公務員の魅力を語る」という県関係の団体の主催するフォーラムに参加してまいりました。1千席ほどの会場には多くの「就活生」が集まり、不安と期待の入り混じる面持ちで席に座っていました。
 私はフォーラムの一部のパネルディスカッションにパネラーとして人事担当で出席しました。パネラーは現役大学生、また若手公務員、そして人事担当の私た ちです。現役大学生が感じる公務員像、そして若手職員が実際に働いた中での公務員に関する感覚、そして人事担当者が公務員の全体像を語るという設定です。
 ディスカッションの中では、大学生の親御さんの世代は公務員は「仕事はヒマで、国や県から言われたことをすればよい」という考えを持っているが、実際は 地方分権や人員削減、住民ニーズの多様化、高度化で現場は厳しい。という話題が出ました。これは実に的を得ている話であり、公務員に批判的な層は過去の公 務員像を前提に語っているのであり、実際は非常に困難でハードな仕事を大量にこなしている職員が大半であるということが現実として言えます。
 事実、仕事が忙しく、給料も民間の金融や上場企業と比べて低い地方公務員については、受験してくる大学生のレベルが一時期より下がっています。俗にいう 「トップ校」の学生が受けてくれなくなってきています。受験勉強で苦労して入った自分の学歴を十分に仕事面、給与面で活かせないものと、学生自身が判断し ているのでしょう。
 公務員を取り巻く状況は今後どのようになっていくかは不明ですが、フォーラムに参加してくれた、学生達の目の輝きを見ていると、ぜひ公務員になっていただき、今後の日本や地域を支えていってもらいたいものと、大きく期待を膨らませた一日でした。


グローバル化、ITしていく世界と事件(2015.1)

 愛 読者の皆様、新年あけましておめでとうございます。ついこの間、西暦2000年を迎えたと思いきや、もう2015年に突入しました。月日の経つのは早いも のです。私の息子も今年二十歳になります。時間の経過に自分の内面の成長がついていかない不甲斐なさを感じながらも、今年1年無事に平和に過ごしたいもの です。
 さて、年明け間もなく、フランスの新聞にイスラム教の聖者を風刺する画が掲載されたことから、テロが発生しました。その後ほどなくして日本人ジャーナリ ストが2名、イスラム国に拘束され現在のところ1名は殺害され、1名は安否不明という状況です。連日、国会が行われている中でも政府はその対応に追われ、 ニュースでは必ず安否が報道されていますが、政情が不安定なシリアという国であり、犯人側がどこに潜んでいるのか、また人質となっているジャーナリストが どこに隠されているのかまったく不明のようです。
 この一連の事件に関しては、本来人々を幸せに豊かにしていく存在である、宗教やインターネットが非常に逆の使われ方をしているという印象を強く持ちま す。イスラム教を開いた方においては、事件や不幸を招くために教えを説いたのではないということは明白です。またインターネットに始まる世界的な通信網 も、殺害予告を全世界に発信するために開発されたものではありません。
 一連の事件に関しては、宗教だけではなく、民族間また富裕層、貧困層の対立等という複雑な構図が絡み合っていることは承知していますが、日本人の宗教離 れが叫ばれている中、宗教全体に対してのイメージダウンが加速する可能性もあり、宗教にかかわる者として私自身不安を感じています。
 いずれにしても、行方不明者の無事が1日も早く確認でき、事件の一刻も早い解決を望むばかりです。自分が望めば世界のどの国でも行ける時代となりました。便利さと危険性は表裏一体であることを考えさせられた今回の一件でした。


世界遺産歴訪などなど(2014.12)

 こ の夏世界遺産に登録された、富岡製糸工場を訪れてみました。おりしも年末も押し迫ってからの見学でしたが、平日とはいえたくさんの人でにぎわっていまし た。養蚕といえばかつて私が幼い頃、どこの農家でも現金収入を稲の収穫時以外にも得られるということで、競い合うように盛んに行っていた記憶があります。 お寺の周りにも桑畑が見渡す限り広がり、それこそ平地は田んぼ、斜面は桑畑という武蔵野の農家風景が広がっていたのでした。養蚕で繭の出荷時期には農家は 総出で、農家の子供と遊ぶ約束をすると、当家のご主人に大目玉を食った記憶があります。
 お寺の近くにも蚕を孵化させる飼育所や繭を乾燥させる乾燥場などがあったような記憶をしています。飼育所の広い庭ではよくゴムまりで野球をしたものでし た。小さい子は「みそっかす」と呼ばれ、三振してもアウトにならないなど、子供ながらに年齢に分け隔てなく仲間に入れられるよう、独自のルールを作って楽 しく遊んでいた記憶があります。
 養蚕で私が記憶しているのは、繭の状態までであり、その後その繭がどのように絹糸になっていくかは知る由もありませんでした。富岡製紙工場で感動したの は、その建物の迫力はもとより、あの繭がどのように糸になっていくかが、解明されたことにもあります。繭をお湯でほぐして糸に撚りあげる工程は実にアナロ グなのですが、システマチックになっており、耳目を広めるといった感じでした。それにさらに時代は前になりますが、「ああ野麦峠」のようにたくさんの女性 の労働力によりささえられていたのだというのも現実としてわかりました。
 ただ、残念だったのは、2月の大雪で本来見られる建物が、倒壊して見学できなかったことです。そういえば当山もその雪で屋根が損壊し、その工事がやっと年明けに始められるようです。それまで雪が降らないことを祈るばかりです。
 色々ありましたが、平成26年も終わりです。今年1年の息災を神仏に感謝し、来る新しい年の幸福を祈るばかりです。皆様もぜひよいお年をお迎えください。


便利な時代となりました
(2014.11)

 拙 僧は、小物を購入する際に近頃ネットショッピングを利用しています。積善寺は「僻地」とは言わないまでも、最も近いコンビニエンスストアまで2km弱はあ ります。とくにパソコン関係の消耗品類を購入するのには非常に便利です。夜にパソコンで注文をしておいて、翌朝通勤途中にコンビニで料金を払い、翌日位に はもう商品が届きます。
 ネットショッピングではそれこそ買えないものなどない位で、色々な物があっという間に注文できて、数日以内には届きます。便利なのはよいのですが、欠点 があります。それは人とのコミュニケーションが無い中で買い物をしてしまうということです。20年前ほどであれば、必ず「お店」で店員さんと話をしながら 買ったものですが、ネットショップでは店員がいませんので、会話は不要です。「お店」では商品を買うと「ありがとうございました」と店員さんがお礼を述べ て、購入した商品の代金がこの店員さんのお給料の一部になっているということが実感できました。
 しかしネットショップですと、一体誰が支払った代金の恩恵を受けているのかわかりません。労働している姿が見えないのです。若者が就職せずに「ニート」 となっているのも、労働者の姿が見えないネット空間での買い物を続けているうちに「働く」「感謝する」という実感がなくなったのも一因ではないかと感じて います。
 またもう一つの欠点として、ゲーム感覚で買い物ができるので、実際にお金を持たない小学生も購入できてしまうという事態も起きてしまいます。その昔、 50円、100円というお小遣いをもらって近くの駄菓子屋で買い物をしたものです。あと何円あるからどれが買えるなどと考えながら買い物をしたものです。 ネットショップは本来の買い物をする楽しみも変化させています。
 「では住職ネットショップを」止めるか」と問われれば、すぐにやめるとは答えづらいのも現実です。現代社会において、携帯電話がないのと同様に、イン ターネットを全く使用しない選択も難しいと思われます。檀家様とのお茶飲み話を通じて、コミュニケーションを緊密にとり、温かい、明るい地域社会づくりに 努めていきたいと思います。


人権講演会の講師でごさいました
(2014.10)

 平成26年10月4日、地元嵐山町ふれあい交流センターで人権講演会が開催され、その講師をつとめました。その日は台風の接近も心配されていましたが、穏やかに晴れ、むしろ暑い位のよい日でごさいました。
 会場は100名近くの方が満員で、すこし緊張しましたが、1時間半の講演も無事に終了し、やれやれというところでした。今回話の中心にしたのは、なんと いっても、人は一人では生きていけない、助け合って生きていくということで、親子や家族の絆といった最近希薄になっている部分を、もっと見直していきま しょうという内容がまず一つ。さらにはしてもらうだけではいけない、人に施しをしてあげることが自分の気持ちも豊かになり、相手の気持ちも豊かになるとい うことです。
 また、講演の中では、元南アフリカ共和国の大統領で昨年末に死去したネルソン・マンデラ氏の言葉を引用しました。「人生で大切なのは、ただ生きたという ことではない。自分の人生を通じて、他の人々の人生をいかに変えることができたか、それが重要なのだ。」「生きるうえで最も偉大な栄光とは、決して転ばな いことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある。」
 私も転ぶたびに起き上がり続ける人生を歩んでいきたいと思います。


色々なことがあった暑い夏です(2014.8)

 当 サイトをご愛読の方々、いつもありがとうございます。さて、ここ一月あまり色々なことがございましたので、ここに記させていただきます。まずはあまり良い ことではありませんが、実に20数年ぶりに軽微な交通違反で捕まりました。詳細は省略させていただきますが、ゴールド免許とお別れと思いますと、ただただ 反省の一言でございます。
 次には、血圧でございます。拙僧は血圧が年齢とともに上がり、少し前までには最高血圧が140位になってしまいました。その中でどこからか「お酢」が良 いと聞きましたので、2カ月程毎日少量飲んでいました所、これが不思議と下がって現在は120位に戻りました。「お酢」は本当に効きました。ただ飲むのを 止めるとまた上がるらしいので、継続して飲んでいきたいと思います。
 さらには、息子の自動車教習所入所です。私が免許を取得した頃は「マニュアル免許」がほとんどでしたが、現在は9割以上が「オートマ免許」だそうです。また教習費用も全部で30万円近くかかり、免許を取得するのも大変な時代になったと実感しました。
 最後は、NHKの取材を受けたことです。お寺ではなく、勤務先の関係ですが、カメラを目の前にインタビューを受けました。拙僧は緊張するということはあ まりないのですが、これはとても緊張しました。ほんの少しですが、画面に出演することもできました。テレビと言うのは実際に出演するのはとても大変だと言 う事を本当に身をもって体験しました。
 いよいよこれから「お盆」の時期に入ります。今年の猛暑は耐えがたく、年齢を重ねる身にはキツイですが、仏様のご加護により一層精進してまいりたいと思います。


虫にはくれぐれも注意
(2014.7)

 先 月は「植木屋」を週末になると行っているとお話しましたが、その植木屋も雨と日照りで植木屋だけでなく、草刈や草むしりを加えた「造園業」に年月とともに 進化してまいりました。刈払機での墓地の草刈や、狭いところは草むしりを這いつくばって行うわけであり、五十路の声も聞こえております、拙僧には、ここの 所の暑さもあいまって、いささか厳しい状況にあります。
 長袖、長ズボン、手袋、帽子で完全防備して作業は行っていますが、蚊の襲来は日常茶飯事であり、また始末に負えないのが、ダニ、さらにはブヨです。3週 間ほど前には両手をダニにやられました。無数の刺し跡が1週間ほど消えずに痒みも想像を絶するほどでした。さらに先週と今週には連続でブヨの熱いキスをも らってしまいました。先週はほっぺたに噛みつかれ、顔がおたふくのように腫れ上がってしまいました。さらに今週は左手の甲を手袋をはずして一服している隙 に噛まれて、手がグローブのように腫れてしまいました。
 さらには、暑さに加えて、数年前から悩まされている歯痛が再発し、それこそ満身創痍の状況です。とはいえ仏様に守られている身でございます。災いが小さかったものと前向きに考え、日々過ごしてまいりたいと思います。でもブヨの痒さは最悪でございます(涙)。
 


庭木と格闘の日々
(2014.6)

 当ホームページをご愛読の皆様、いつもお世話になります。早いもので正月が明け てから、瞬く間に6月に突入してしまいました。さて、当山はいわゆる「山寺」でありまして、色々な木々が植えられています。丁度私が住職になってから15 年が経過ましたが、住職になって間もなく父と母が植えた植木が現在「大木」に成長してしまいました。少しずつその大木を間引いていますが、間引ききれない 植木については「手入れ」が必要になります。色々な花が咲き誇っているうちは良いのですが、花が終わると一気に枝葉が伸び出します。あまり伸び放題の木が 乱立している寺では、ご本尊様に申し訳ないので、この時期は土日毎に「植木屋」に変身します。
 幸いに息子も大学に入学しましたので、完全に助手として手伝ってもらいながら、脚立に登って 剪定ばさみを駆使しています。広い範囲は「電動庭木バリカン」で刈り込みますが、一本一本の木については、やはり枝をコツコツと切って行く必要があります ので、手間がかかります。先週の土日は6月観測史上、何番目かの暑い日でしたので、目に入る汗をぬぐいつつ、脚立の高さに目がくらみつつやっとのことで手 入れを終えました。
 これから草が伸びる季節、枝が生い茂る季節を迎え、それをやりくりしつつ、いよいよお盆に突入するわけです。これからも体調管理に留意しつつ精進してまいります。お近くにお越しの方がいらっしゃいましたら、ご参拝くださいませ。


シバザクラの苗植えました(2014.5)

 当山は、五月のの連休頃まで、桜からはじまり、シャクナゲ、シバザクラが見ごろとなります。 残念ながら今年は雪の影響でシャクナゲが曲がってしまい、現在杭を打ってロープで引っ張って矯正中であります。寺の前の土手は毎年草が茂ってしまい、草刈 りに追われていることから、今年は一念発起してシバザクラの苗を70株ほど購入し、植え付けを行いました。
 四月は乾燥して寒かったため、幸い雑草もあまり成長していませんでした。とはいえ兼務寺の普 賢寺を引き継いだ時、一面に広がっていた「カラスノエンドウ」が積善寺の土手にも少しはびこっており、それを抜いてからの作業となりました。斜面でありま すので、足場の悪い中、また土壌もあまり良くない中での作業でありましたが、少し肥料を与えながら、根気強く植え付けを行いました。植えた後には水やりを したかったのですが、5時前から開始して既に8時30分。出掛けなくてはいけない用事がありましたので、その場を離れました。
 外出先でもシバザクラの水やりが気になっていたのですが、なんと仏様のご加護か夕方には、今 まであまり降らなかった雨が降って来ました。シバザクラを植えたことについて仏様は応援してくれたのでしょうか。何はともあれ、来年の花の時期が楽しみで す。草取りを続けながら大切にシバザクラを育てていきたいと思います。

色々なことのスタートです…(2014.4)
 
 息子の大学受験も、志望校には届かなかったものの、納得できる範囲の学校に合格でき、いよいよ通学が始まります。2時間近くもかかるのでどうなることやら。とはいえ、ここから1時間で通える大学もほとんどないので仕方ないとは思います。
 3月は、気候が不安定であった為か、お葬式が続いて、市役所の仕事も年度末とあって忙しいことから、体調管理が大変でした。とくに雪かきで痛めた肋骨痛 が我慢できないレベルになり、整形外科を受診することとなりました。結果としてレントゲンで異常なしとなりましたが、つい先週位まで呼吸をしても痛みが走 る程度となりました。年齢とともに無理はできないなと思いました。
 また、昨年まで住んでいた、小川町東小川の旧自宅がやっと売却できるようになりました。しかしながら、4千万近くで購入した物件が約4分の1まで下がっ て、やっと成約となった次第です。不況、不況といってはいますが、ここまで下げなくては売れないのかと、本当の不況を我が身をもって体感している今日この 頃です。さらに、父が胃ガンの手術を受けて退院してきました。父母とは隣同士に住んでいますので、毎日様子を見に行っていますが、さすがに70代半ばなの で、回復には時間がかかっている状態です。
 なにはともあれ、私の身の回りにおいても、色々な事が区切りを迎え、スタートを切る季節です。この1年が無事に過ごせますよう、仏様にお祈りしつつ生きてまいります。


雪、雪、また雪…(2014.3)
 
  2月7日から8日にかけて、関東平野部でもかなりの積雪がありました。私も自坊の周りをひと汗かいて、除雪したのち他のお寺の手伝いがありましたので、そ ちらに向かいましたが、行く道すがら積雪の多いところがあり、四苦八苦しながらたどり着きました。夕方の帰路はあまり雪が残らず、ほっと一安心といったと ころでした。
 翌週14日の夜、15日も大雪ということでしたので、おそらく8日の雪の程度だろうと思い、早目に床につきました。翌朝6時ころ起きて雨戸をあけると びっくり。なんと部屋の床の高さほどに雪が積もっていました。おそらく60pはあったと思います。さらに雪はどんどん積もっていきます。大慌てで除雪を開 始しましたところ、あまりの雪の多さに捗りません。息子の受験の日ですので、どうにかして駅まで車で送っていこうと除雪を続けますが、折しも雪から雨にか わったせいで、雪が重く1時間続けて雪かき(というよりも「雪掘り」)が25mほどしか進みません。大学のHPでは、「一時間遅れで受験を開始します」と 表示してあり、電車は東武東上線は成増より下りは不通となっています。大学に電話しても、ずっと話し中ですし、埒があきません。いずれにしても受験会場に 向かわなければなりませんので、土砂降りの雨の中、さらに一時間以上雪かきを続けましたが、大通りまではまだまだ時間がかかりそうです。それではと息子に 長靴を履かせて、一緒に駅まで向かいましたが、500mも行かないうちに「長靴の中が雪だらけで足の感覚がない」との息子の発言で万事休す。受験を諦めま した。
 しかし翌日も受験ですし、さらには大通りまで除雪しなくては孤立してしまいす。近所の方々と力を合わせて大通りまでの除雪を行いました。とにかく体全体 が痛くなりました。お昼頃には裏の竹藪で「パン、パン」と大きな音がしたので見に行くと大きい竹が10数本折れ曲がっていました。一面の銀世界で雪国のよ うな光景に、只々呆然とするばかりでした。翌日駅まで息子を送った時も、2回スリップして後ろを押さないと脱出できない始末。疲れが2倍になりました。
 また翌週も雪が解けず、お寺の駐車場を法事のために除雪しようとしたところ、背骨から肋骨にかけて激痛が走り、今も痛みが取れない状況です。本当に2月 は「雪に振り回された」ひと月でした。今回の雪では、亡くなられた方もいたようで、本当にお気の毒です。120年に一度の雪だということですが、雪国の方 々のご苦労が身に染みた経験でした。


自分の時を思い出す…
(2014.1)
 
  皆様、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。さて、今年の大晦日、元旦は穏やかな天候に恵まれましたが、正月3日頃か ら冷え込みが厳しく、身も心も凍る思いであります。毎朝のお勤めもお経を唱える息が真っ白に出て、寒さもひとしおです。当山も約500年の歴史を持ちます が、私で24代目を重ねます。さぞや歴代の住職様は寒い中で仏様をお守りであったのかとしみじみと感じる今日この頃でございます。
 さて、受験シーズンもたけなわ、今月の18、19日はセンター試験でございます。多くの受験生が自分の将来を見据えて、一大決戦に臨むわけです。私も三 十年近く前に某東京の大学を受験しましたが、毎日毎日勉強漬けで1月のこの時期にはもう「嫌気」が指してきました。受験というのは自分とのひたすらの戦い でありまして、勝つも負けるも自分自身であります。なんとか志望校には合格しましたが、受験が終わったとき、喜びよりも「もうしなくていいんだ」という安 堵感が強かったのが印象に残っています。その受験勉強の経験がその後の公務員試験や、大袈裟な話ですが、比叡山での修行にも活きてきていたのではと思って います。
 折しも今年は、わが息子が受験に挑みます。はっきり言って嫌気がさしているのが、垣間見えるのですが、自分の時も同じような気持ちだってので、強い口調 にならずに、静かに見守ってあげたいと思っています。受験に勝っても、負けてもその後の人生全てが決まるわけではありません。ただ受験をしたという経験は その後の人生の大きな柱になっていくと思います。世の受験生諸君、受験勉強は無駄ではありません。君たちの健闘を心より祈ります。


一世一代の大行事が終わりました…(2013.12)
 
  拙僧、更新が遅れましたことをいつもながらお詫び申し上げます。と言いますのは当山積善寺は、折に触れて皆様にお伝えしておりますが、ついに本堂の大 改修と庫裏の新築工事並びに前庭敷石工事を終えまして、晴れて落慶法要を10月19日の大安吉日に修行することができました。当日曇天で早朝は雨が降って いましたが開始時刻に近くなりますと晴れ間も見られるようになりました。これも御仏のご加護によるものとただ感謝でございます。
 法要には、ご寺院方は法類、組寺であります圓光寺様、長福寺様、大聖寺様、慈光寺様にご臨席を賜り、来賓に地元杉山区長様はじめ、関係各位にご出席を賜 りました。法要を終え私は謝辞を述べさせていただきましたが、当山を400年以上支えてきた歴代住職、とくに私の祖父であり早逝した新井純田や、子に先立 たれつつも取り乱さず、道を外れず仏道に専心した、曾祖父の新井郷田のことについても触れ、先祖あっての今があるという思いを、檀徒、出席者の方々と共有 させていただきました。
 その後の和やかな祝賀会では、お酒の席でもございまして、杉山区長様はじめ先輩方と十分に色々なお話をさせていただくことができました。さらに心配して いた料理ですが、誰もがほとんど残すことなく召し上がっていただき、事前に腐心した甲斐があったものと一安心いたしました。
 積善寺にしては100年に一度、私といたしましても一世一代の大行事でございます。少子高齢化、人口減少社会の到来等、問題も山積しておりますが、ただただ仏様を祈る気持ち一筋にて、今後も精進してまいります。
 ※当HPをご愛読の各位にも心より感謝申し上げます。


年齢にはその歳なりの役割あり…
(2013.9)
 
  9月というのに、暑さは収まることなく本当に体にキツイ日々が続いておりますが、皆様いかが過ごしでしょうか。拙僧は引越しとお盆と夏の疲れが出ておる今日この頃です。
  さて、今一番の我が国の問題というのは、少子・高齢化ではないでしょうか。その原因は晩婚化、高齢出産化が進んだために、子どもの人口が減っているため、 相対的に高齢者の人口比率が増えていることにあると思います。また高齢者も4人に1人の時代となり、高齢者も社会の中心となり地域社会や経済を支える必要 が出てきています。
 古代インドにおいて、バラモン教、ヒンドゥー教の教義の中心となった「マヌ法典」が成立しました。長くインドにおいて人々の生活や思想に影響を与えまし た。そのマヌ法典において、人間の人生を「学生期」「家住期」「林棲期」「遊行期」の4期に分けて、それぞれの時期において守るべき事柄を詳細に定めてい ます。
 最初の「学生期」は学業や作法を学ぶ時期です。そして次の「家住期」は結婚して子供を産み、家庭を築き仕事に励む時期です。そして子育てが終わったら家 を出て森林に移り住む「林棲期」となります。その時期は築いた財産や文明的なものを捨て去り森林の中に溶け込んで修行を行います。さらに一定の修行が終 わったら最後の「遊行期」となります。この時期はさらに定住する家さえも捨てて、生と死に思い煩うことなく、解脱を求めて生きていくのです。
 法典はそれぞれの時期を人生の4分の1ずつとしていますので、現在の日本人の人生90年として、23歳までが学生期、45歳までが家住期、67歳までが 林棲期、それ以降が遊行期となります。つまり24、5歳位で結婚して、45歳位までで子育てを、ほぼ終えるということになります。高齢出産化が進む中、先 日NHKで「卵子は老化する」という番組が放送されました。その反響として40歳では子供を産むことが困難であるということを知らなかった人の多さに驚き ました。それを知らなかったのは本人に責任があるのか、国の政策に問題があるのかは結論が出ませんが、古代より存在する法典の中に、そのヒントがあるよう な気がします。併せて高齢者の方も、林に入り煩悩を捨て道を求め、またその結果を遊行により市井に広めるということも、今後の人生の参考として頂ければよ いのではと思います。いずれにしても、夏の疲れを少しずつ癒し、本来の体調に戻していければと思います。
 ※先日、あるドラッグストアに財布を置き忘れてしまいました。拾っていただいた店員の皆様に感謝申し上げます


孟母三遷に及びませんが転居です(2013.8)
 
 7月、8月の今までと更新にいたりませんでしたことにお詫び申し上げます。さて、前回庫裏が完成したことはご報告申し上げましたが、完成しそれですべて が終わったわけではございません。そうです「引越し」の作業が待っていたのです。庫裏に引っ越す以前に住んでいたのも、私が所有する自宅であり、庫裏も住 職としての自宅です。ということは両方とも自宅の訳であり、アパートのように「契約期限」がありませんので、引越しも自ずから、よく言えば少しずつ、悪く 言えばダラダラとなってしまうのです。引越しも6月頃から始めまして、自家用の軽トラックで少しずつ運んでいましたが、毎週の土日、法事の無いときはほと んどの時間を引越しに費やしていました。さらに妻は当然女性なので力はなく、二人の高校生の子供も学業優先ということで当てにならず、孤軍奮闘の状態でし た。
 かの儒学者の孟子の母の故事に「孟母三遷」というのがあります。孟子は早くに父を亡くし、母により最初に住んだのが墓地の近くでありました。幼い孟子が 葬式の真似をするので、今度は市場の近くに引っ越しました。そうしたところ申しが商人の駆け引きの真似をし始めたので、学校のそばに転居したところ、孟子 が学問や礼儀作法を真似るようになったので、そこに定住したという伝えです。
 私も、最初結婚後アパートに、次に子供が生まれて戸建の貸家に、次に広い一戸建てをローンで購入、次に住職として庫裏に引っ越すということをしていま す。孟母三遷ではありませんが、引越しのベテランてはあります。しかし、過去の引越しに比べて、一番違うことは「年齢」であります。四十も半ばを迎えるこ の体は若者の体力を持ち合わせていません。さらにそれに追い討ちをかけるように猛暑続きで、七転八倒の末引越しが整ったのは「海の日」の三連休の最終日7 月13日でした。
 引越しを終えるとすぐに、施餓鬼の準備でした。実際にお寺に住んでいると便利で、どんどん準備が出来ますが、反対にキリが着かなくて夜中まで準備をして いまい、体力的にヘトヘトになる始末でした。施餓鬼本番も本当に暑い夏を実感するほどの好転に恵まれ、とはいえ本堂の控室に入った「エアコン」に救われま した。
 そんなこんなで更新が遅れてしまったことを重ねてお詫び申し上げ、機会がございますれば、四十五年ぶりに住職が住む、当山をご参拝いただきたくお願い申し上げます。
 ※8月上旬には「スズメバチ」の巣がまたもや作られてしまいました。業者さんのご協力により退治しましたが、まさに「泣き面にハチ」でした。

思いを継いで〜出会った事のない人々からのメッセージ〜(2013.6)
 
 積善寺の創建は西暦1525年。500年弱の歴史があります。その間実に22人の住職が積善寺を護って来ました。私の先祖が積善寺に初めて入ったのは明 治時代初期、萬山純衛からになります。純衛は非常に布教、寺門繁栄に才覚があった方だと推察されます。積善寺の納屋には、厄除け、方位よけに使う方位盤 や、出開帳(仏様を市中で公開する事)に使用した背負厨子などがあり、当時の活躍が偲ばれます。
 その後、純衛の子であり私の曾祖父の郷田が積善寺を引き継ぎ、住職となります。郷田の事を記憶している古老は多く、「時計を直してくれた」とか、「字が 達筆だった」等の話も聞け、純衛の血を引いて才能があったのではと感じています。しかし郷田の子、孫、つまり私の祖父や伯父に当たる人々が若くしてこの世 を去った為、積善寺の後継者はいなくなり、兼務住職が管理する寺となりました。
 歴代住職や、私の先祖とは一度もお目にかかったことはありませんが、一大決心をして、私も僧侶となり、色々な方々のご協力により、積善寺の住職とさせて いただきました。子供や孫を次々と亡くした郷田の無念さは、父母が時折語る昔話や、近所や縁戚の方の話を聞いても身にしみて感じておりました。さぞや無念 であったと思います。
 住職となって10年。檀家様の協力、そして私財も寄進させていただき、いよいよ庫裡が新築され、本堂の外見や内部の大改修も円成となりました。
 積善寺の500年、そして私の先祖が関わって100年余り。過去から積善寺をこのようにしていきたいという「願い」や「思い」が形になったと思います。 良い行い、良い考え、これこそが日本を平和に導くエネルギーだと思って止みません。易経にある「積善の家、必ず余慶あり」の言葉を胸に刻み、これからさら に地域で、そして様々な形で、一度も出会ったことのない人々からのメッセージを次代に引継ぐべく、仏様の教えを伝えてまいりたいと思います。

日本一の山でございます…
(2013.5)
 
 年度末の多忙にかまけまして、更新が遅れましたことをお詫び申し上げます。さて、地方公務員歴24年、住職歴10年の私でございます。経験も少しだけ高 く積み上げてまいりました。高く積み上がる、聳え立つといいますと、今月「世界文化遺産登録」の声も聞かれてまいりました、わが日本を象徴する霊峰「富士 山」でございます。
 その富士山にこの連休中、5号目までではありますが、登山する機会に恵まれました。早朝5時に家を出まして、高速を乗り継いで富士スバルラインに7時頃 到着いたしました。スバルラインでは「♪頭を雲の上に出し」のメロディーが、車が一定の速度で走ると流れるようになっており、素直に感動しました。小1時 間程で5号目まで到着しました。南アルプスも一望できて、天気には非常に恵まれました。上を望むと山頂まで雪が残り「富士の峰」を堪能することができまし た。いつも遠くからしか見る事ができない富士山ですが、近くでみると本当に神仏を感じさせるものがあり、美しさと迫力に圧倒されました。もっと見ていた かったのですが、なにしろ気温が1℃しかなく、凍えそうになったので下山と、あいなりました。
 その後、忍野八海、山中湖と観光を行い、おいしいお蕎麦をいただきました。ただ、今年の連休は過去に例が無いほど寒いらしく、地元の人も「桜が満開に なっていない連休はめずらしい」と言っていました。一方で寒いので空気が澄んでいて、麓からも山の上からも美しい富士を見る事ができたのは幸運でございま した。また訪ねてみたい富士山。今度は夏にも行ってみたいと思いました。ただし、帰りの高速の渋滞がなければもっとよかったかもしれません(笑)。

温かさとやさしさと…(2013.3)
 
 先日来寒かった気候も三月の上旬は三日ほど汗ばむような日が続きました。お寺の斜面ではふきのとうが一斉に芽を出したばかりか、花をさかせてしまいまし た。待ちかねていた「旬の味」も、一瞬のうちに逃してしまいました。残念無念。気温の急変から梅の花と桃の花が一度に開花し、少し得をしたような、一方で 季節感が失われたような複雑な思いです。
 我々日本人にとっては、桜の花は卒業と別れをイメージするものですが、もう間もなく桜のシーズンになります。予想によると今年は少し開花が早いそうだと か。拙僧は市役所勤めの身分でもございますので、定年退職される先輩方、止む無く中途退職する方、さらには人事異動など、様々な別れが待っている季節でも あります。永年目標としていた先輩もご自分の立場を果たされて、いよいよ退職され第二の人生を歩まれることとなります。また数年来一緒に机を並べていた仲 間とも職場を異にするシーズンが到来しました。少し寂しいような気分がする一方で、私も後輩の目標となる人物にならなくてはと身の引き締まる思いです。そ ういえば先日、四月より新しく入庁してくる新人の集団とすれ違う機会があり、若さあふれるその姿に感心するとともに、自分の二十数年前の、入庁した時の事 を思い出して見ました。
 私が市役所に勤めた時、初めての辞令を市長さんから預かった際には、南側の欅の新芽が吹く頃で、「この新緑を目に焼き付けて、この色とこの気持ちを忘れ ないように働いていこう」と思ったものです。その時から大分時間が経ちました。楽しいこと、嫌なこと、本当に色々な事がありました。温かい心で接してくれ た周りの人々、そして厳しい中にもやさしさを与えてくれた多くの人々に感謝し、これからも歩んで行きたいと思いました。

身にしみる寒さ…(2013.1)
 
 当ホームページをご覧の皆様、明けましておめでとうございます。平成も25年を迎えました。ついこの間平成になったのかと思ったらもう四半世紀を重ね、 平成も歴史を持つ年号となりました。平成元年生まれの子供も今では立派な社会人。中にはお父さん、お母さんになっている方もいらっしゃるかと思います。
 さて、正月の1、2日あたりは過ごしやすい日々でしたが、3日以降はあれだけ暑かった昨夏は何処へやら、厳寒の冬の日が続いています。拙僧の軽自動車の 温度計も夜明け頃乗り込む際には零下5度近辺を表示しています。毎日のように車が霜だらけになっており、文字通り氷の国に来たかのようです。しかしこの寒 さ、少し懐かしく思う事もあります。拙僧が子供の頃、昭和50年頃は冬になると毎日のようにこのような寒い日だったと記憶しています。川や沼にも厚く氷が 張って、今思うと危険ですが「氷渡り」で遊んだものです。沼でも日陰の部分は昼過ぎまで氷が解けずに、学校の帰りにふざけて渡ると、2、3歩踏み出したと ころで突然「ビシッ」とヒビが入り、冷や汗をかいた記憶があります。今のようにスマホがありませんでしたから、遊びといえばそのような事しかなかったので すが、今から思えば楽しい時代でした。
 それから歳を重ねること約30数年、今ではすっかり寒さに臆病になってしまったわが身が情けなく思います。長袖の肌着、股引は当たり前、それでも物足り ずに携帯懐炉は欠かせません。それでいても寒さが身にしみる年頃となってしまいました。しかし悲しいことだけではありません。たまに飲む温かい酒と、これ また、たまに入る温泉の有難さが、満喫できる年頃にもなったのでこれも仏様の授けていただいたプレゼントだと思い前向きに考えております。若い時には若い なりの、歳を重ねれば重ねただけの楽しみや喜びもあるということを噛み締めた今年の正月でありました。


12月の雨の降る時…
(2012.12)
 
 今年は、夏が少雨のためか12月に入ってから毎週のように雨が降っています。冬の雨は少し淋しい。何やら極楽浄土にいらっしゃるご先祖様がふとこぼす涙 の様な淋しさです。12月12日は、私の祖父で早逝した純田和尚の命日です。妻、そして4人の幼い子供を残して、あの世に旅立たなくてはいけなかった祖父 の心情はいかなるものであったのでしょうか。その無念さを引き継いで私は僧侶となりました。
 さらに、12月8日は私の誕生日でもあります。12月8日はお釈迦様が悟りを開かれた日として、法要を行う寺院もあるようですが、奇しくもその日に生を 受けた私は僧侶として生きていくこととなりました。純田、永田、武久と3人の子や孫を若くして失った私の曾祖父である郷田は、私が生まれる数カ月前にこの 世を去りましたが、郷田の妻である私の曾祖母のいしは、私の誕生の後、「この子は絶対にお坊さんになってもらう」として、私の臍の緒を積善寺の縁の下に納 めたそうです。多くの人々の願い。そして命を失った事の悲しみ。色々な思いが私の生まれる数十年前からめぐらされていました。それを否定的に捉えるとか、 見て見ぬふりをするとか、確かに10代、20代の頃はありました。しかし自分が父親となり、そして先祖様が残していただいた意思を振り返ると、自分が僧侶 となり、そしてこれからも仏道に専心し続ける事がなにより自分の生きる道であるということ行きついたのです。
 12月の雨は、今まで多くの悲しみや喜びそして、期待や失望、色々なものが入り混じった、私のご先祖様が流す涙なのかなとこの歳になって思うようになり ました。それがうれし涙なのか、それとも悲しい涙なのか、いずれにしても今後も私が多くの人々に支えられて生きていく為の慈雨であることには間違いありま せん。


竹と格闘する日々
(2012.11)
 
 積善寺の裏山には「竹林」があり、孟宗竹が100本ほど生えております。4〜5月頃は美味しい「タケノコ」を味わうことができ、特に今年はタケノコを皮 ごと焼く「丸焼き」を賞味しました。11月下旬頃から、スズメバチやマムシの危険性が無くなった時期を見計らって、古い竹を切って、新しい竹を伸ばす作業 に入っています。
 今年は9月末の「ゲリラ風雨」の影響で生えている竹が途中から折れ、先端の3分の1程が折れ曲がっている竹が10本以上、また夏の記録的な少雨の影響で 「立ち枯れ」となった竹がやはり10本ほどありました。これら約20本の竹を根本から切り倒し、運べる程度の長さ(1.5m位)に切り分け、さらに枝を 払って縄でまとめるという作業を行っています。
 竹は成長したものとなると約10m程になり、切り倒して作業できる所まで運ぶのに一苦労。また枝を払うのに非常に手間がかかります。一本の竹を片付ける のに早くて約40分、手間取ると1時間かかってしまいます。「秋の陽はつるべ落とし」と言う位、夕暮れが早いので、朝は7時過ぎ位から作業に入り、2週間 土日を費やし、とうとう片付け終わりました。最初は体全身が「筋肉痛」になったのですが、そのうちに「重労働」にも体が慣れ、不思議と痛みを感じなくなり ました。また朝から昼、そして夕暮れ時まで高台の竹林から眺める山々の景色、そして落ち葉のじゅうたんの色の移り変わり等は、汗だくになった体を癒すのに 十分な眺めでした。
 今年も色々ありました。本当に色々あった1年。来年はやっと「方災」から脱出できる歳回りです。家族に支えられながら来年こそは平穏な一年でありますように。皆様よいお年をお迎えください。


いずこにも仏様がおわします…(2012.10)
 
 暑い季節もようやく終わりました。それこそ10月上旬まで「夏」のよう な暑さでした。私は暑さが特に苦手なもので、今年の暑さと乾きにはほとほと閉口しました。いよいよ秋が深まり冬が来ます。私自身寒いのには強いのですが、 凍った早朝の畳には足が悲鳴を上げて「霜焼け」の出来上がりとなります。
 さて、天台宗をお開きになった伝教大師最澄さまは、「一切衆生悉有仏性」というお言葉を残されています。これはすべての生き物には仏様に なる「種」があるということです。仏様に近づくために「善い行い」をしましょうという事にもつながります。自ら意識して善い行いをしていくことは大切です が、それが意識しないでもできるようになれば、さらに素晴らしいことです。
 私自身も「ハッと」させられる出来事に出会うことがあります。ある日急な土砂降りに遭遇しました。あいにく、傘を持っていませんでした。しかしそういう 時に限って約束があり、時間までに行かなくてはならない場所がありました。その時です。たまたま私より少し年上の女性がビニール傘を差し出して、「どうぞ 使ってください。安いものなので返さなくても結構です」と声をかけてくれました。わたしがお礼のお金を差し出そうとすると、知り合いの人が来たようで、 サッとどこかへいってしまいました。ただただ私は頭を下げてお礼を言うだけでした。
 目的地について用事を済ませ、独りになって考えてみると、「あの女性は仏様だったのかな」と思うようになりました。反対の立場になって自分もあのように できるのだろうかとも考えました。「善い行い」というのは自然にさりげなく行えることが素晴らしいのだとも思いました。皆様の周りにもこのような人がいる と思います。暑い夏の外回りから職場に戻った時、そっと冷たい缶ジュースを渡してくれる同僚。学校で辛いことがあった時、何も言わずに愚痴を聞いてくれる 友達。個人的なミスで損を出してしまった時、みんなからカンパを集めて補填してくれた上司。何気ない生活の場面でも、仏様のような人、いや仏様はいるので す。
 いずこにも仏様はおわします。そして自分自身の心の中にいるのです。自分自身の仏様を目覚めさせ、素晴らしい人生、素晴らしい世の中にしていきたいものです。


乗り越える力、支える心… (2012.8)
 
 今年の夏は暑さも厳しく、さらに乾燥が激しいようで、毎日毎日の水やりも回数や量が例年を大きく超えています。これだけ暑い日が続くと、気持ちの緊張感 もとぎれ「だらけた」毎日となってしまいがちです。お盆が終わってほっとしている所ですが、すぐに秋の彼岸になります。仏様を拝む気持ちは毎日途切れるこ となく、祈りは続きます。
 さて、山歩きやハイキング等は私は好きなのですが、以前さほど高い山ではありませんが、登山をした時の事を今回は記したいと思います。その日の登山は片 道3時間、往復でも7時間弱でした。決して短い距離ではありませんが、難しい山ではなく、息を切らせながらも張り切って高度を上げていました。
 途中、小中学生の団体と一緒に歩くことになりました。その団体は同じ学校というわけではなく、何かのスポーツの団体で初老の男性がリーダーで30人位で 歩いていました。その男性を「おじさん」と言わせてもらいます。おじさんはいかにも登山が得意という感じの方で、掛声をかけながら団体を率いていました。 急な岩場に差し掛かるとおじさんは一人ひとりに声をかけて、慎重に登らせていました。しかし手助けすることはありませんでした。団員全員がたとえ時間がか かっても自分自身で登らせていました。
 頂上が近くなり平坦なコースとなりました。平坦なコースが終わる地点で少しの段差がありました。頂上まであとわずかの地点です。おじさんはそこの段差で 団員を待ち構えていて、1人ひとりに手を差し伸べて、まるで握手をするように励ましの言葉をかけていました。頂上でその団体とまた一緒になったのですが、 全員が登頂を実に満足したような表情で味わっていた姿がとても印象的でした。
 伝教大師の言葉に「一切衆生悉有仏性」があります。すべの生き物は仏になる種を持っているという意味です。このおじさんの行動を見ていて、私は仏性を育 てるという行為を見たような気がしました。本当に困難な場面に立向い克服するのは自分自身です。自分で乗り切るしかありません。しかし乗切る力があって も、あと一歩のところで全てを失うこともあります。あと一歩のところで手を差し伸べてくれるのは「見えない力」である仏様やご先祖様の力なのではないで しょうか。
 暑い季節もあと少しです。「見えない力」「支える心」に感謝し、涼しい季節の到来を心待ちにしたいものです。


忘れ物をしたような世の中…(2012.7)
 
 
景 気後退、デフレスパイラルと叫ばれて久しく時も経ちました。借金まみれの国の財政を立て直すために、消費税率を上げる為の法案が先日衆議院を通過しまし た。少子高齢化と言われて十数年が経ちました。子供の数は国の考えとは異なり思うように増えない。一方で長寿社会は非常に喜ばしいことではありますが、高 齢者を多数抱えるわが国は社会保障費の増大に頭を痛めています。
 私が子供の頃は、わが国は成長中の国家でありましたので、大人になったら自動車に乗りたい。あれも買いたい。これも買いたいという一つの 標準的なモデルがありました。ところが経済が成熟し、物質的な要求はある程度満たされた世の中になりました。スピードや性能を追い求めていた自動車も今や 環境性能で勝負する時代となりました。隔世の感があります。
 さらには、個人を尊重する世の中になりましたので、独身の男女、離婚した男女、一人暮らしのお年寄り、地方から都市に上京して単身生活をしている方々 等、全ての人々がそれぞれ発言や、行動の自由を保障され、何不自由なく暮らせる社会となりました。素晴らしい事です。過去から我々人類が夢見てきた平等で 自由な社会が完成しつつあるのです。
 どんな個人も平等で自由な社会づくりがさらに進み、プライバシー保護や発言、権利の自由が今後も必要以上に尊重され続けるとどうなるか考えて見ました。 これは私の独断と偏見ではありますが、究極的には「個人」中心の社会になるのではないかと思います。つまり結婚し家庭を持つ方々また、事業を興して何かに チャレンジする人々が減少し、何かを主体的に行い、世の中を切り開いていこうとする人間が減っていくのではないかと考えるのです。それは現在の社会の風潮 として、「何かをする人」を攻撃し、何もしない、何も持たない人(現在は弱者と呼ばれています)を過大に擁護する感があるからです。努力の結果弱者となっ てしまった場合は擁護に値しますが、自ら選んで弱者になった方については議論の余地は少ないかと思います。
 先日買い物に行った際に見た「モンスタークレーマー」や、レジ待ちの列に平気で割り込んでくる人々を見ると「何か忘れ物をしたような世の中」になってしまったのではと思うのです。人と人とのつながりを大切にし、日々精進してまいりたいと思います。

比叡山団体参拝に行ってまいりました…
(2012.5)
 
 我々天台宗の総本山は、滋賀県大津市にあります、比叡山延暦寺です。琵琶湖の西岸に聳え立つ標高848mの山。京都の街の北東に位置し、「王城の鬼門を 護る」役割も果たしています。西暦785年我が祖最澄様、伝教大師は、19歳にしてこの山に登ります。その後大師の悲願であった、大乗仏教の戒壇が公認さ れ、現在の日本仏教の各宗派の祖がここより巣立ったため、比叡山は「日本仏教の母山」と言われる所以であります。
 5月、しかも新緑が芽吹く時期に、積善寺、普賢寺の檀家様と一緒に比叡山を訪れる機会に恵まれました。さらには、今回素晴らしいことには私の兄弟子であ ります、圓光寺の高橋師と弟弟子であります、大聖寺の千明師とご同行できました。両氏は私の曽祖父、新井郷田の弟子であります、早川賢田師の弟子にあたり ます。主としては私も含めて三兄弟となっており、高橋師の息子様の寺院を含めて6寺を預かっています。その6寺合同の団体参拝が今回実現したものです。
 新緑の比叡山は、まだ山桜の咲き残りもあり、実に素晴らしい景色でした。山腹より望む琵琶湖も輝きを増して素晴らしい眺望でした。比叡山に到着して阿弥 陀堂で檀家様のご先祖回向を行いました。その後千日回峰行を満行された藤波源信大阿闍利の講演をお聞きすることができました。さらに翌日には根本中堂で勤 行を行い、厳粛な中で比叡山の参拝を終えました。その後奈良県の吉野、金峯山寺に移動し、特別公開の金剛蔵王権現を拝むことができました。青身の蔵王権現 は約7mの迫力がある仏様で、修験道の仏様の法力を十分に感じさせるものでした。その後東大寺大仏殿を拝観した後、琵琶湖畔の温泉宿で精進落しとなりまし た。宿の宴会では私の曽祖父の郷田や、祖父の純田を知っているご年配の方から、当時の思い出話を聞く機会に恵まれ、やはり近親者で行く団参も、一体感があ り趣のあるものと感無量でした。
 帰路には白川郷、飛騨高山を巡り、充実した参拝となりました。旅行中色々な方々に大変お世話になりました。再び比叡山に登る日を待ち遠しく感じます。

本当は誰の責任なのか…(2012.4)
 
 久しぶりの更新になります。多忙にかまけて失礼しました。さて、交通事故のニュース、しかも悲しい事故が相次いで、胸が締め付けられる思いです。人類が 発明したとても便利な「自動車」が時として人を殺す「凶器」となってしまう。なんとも気持のやり場のない思いです。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈 りいたします。拙僧も毎日のように自動車を運転しています。注意に注意は重ねていますが、避けられない、間が悪い時はあるもので、これまでに小さい規模で すが事故も経験しています。
 さて、不注意、過失により事故は発生するものですが、それらの事故に関する、新聞やテレビの報道を注意して見ておりますと必ず「会社の体制はどうだっ た」とか、「行政の対応は正しかったか」という論調に流れています。本来運転免許は個人の責任で取得し、自動車を運転する場合も個人の責任において運行し ています。当初より会社や行政に重大な落ち度があれば別ですが、まず第一義的には交通事故は個人の責任であると思うのです。ですから法律においても、交通 事故で相手に怪我をさせた場合、通常の過失致傷ではなく、業務上過失致傷という重い刑罰を科しているのです。私も小さいながら、事故を起こした際は、「行 政の造った道路のせいだ」、「前の日に遅く働かせていた職場のせいだ」とは言われませんでした。自分でも人のせいにはしようとは微塵も思いませんでした。
 これらは原子力発電所の事故以来、日本の世間に巻き起こった論調であると私は思うのです。原子力発電は法律に基づいて適法に行われていたはずです。とこ ろが痛ましい大震災が起きて、放射能がまき散らされる事態となりました。東京電力だけでは抱えきれない大きな問題ですので、行政や国民全体が一丸となって 事態収束に向けて動いていかなければなりません。しかし、すべての事故や、事件が会社や行政が責任を背負うわけではありません。個人が責任を負って問題解 決をしていかなければならない場合が本来的にはほとんどだと思います。
 会社や行政の責任を一番に問うことによって、本来背負うべき「大人の責任」が回避されかねない流れが、一部の世論で巻き起こっています。NHKの番組で 「無縁社会」という特集がありました。会社以外に社会に縁を持たない人が、亡くなられても遺骨を引き取る家族がいないというのが主な番組の内容でした。個 人個人の責任、つながりよりも、会社や行政に一番最初に責任の拠り所を求める世論は、無縁、無責任社会のプロローグではないかと少し恐れています。私は今 まで通り、人と人とのつながりを大切にして生きていきたいと思います。もちろん交通安全には十分に気をつけて毎日を過ごしたいとも思います。


来し方を振り返り、行く末を見つめる…
(2012.2)
 
 拙僧は今年で44歳となります。男性の平均寿命が約80歳であることを考えると、人生道半ばを過ぎいよいよ「後半戦」となる訳です。大それた人生を歩ん で来たのではありませんが、今までの私の生きてきた道のりは、色々な事がありました。入学試験、就職試験、結婚、子育て、そして修行を経て僧侶になった 事。まぶたを閉じると数々の思い出が脳裏をよぎります。出会いと別れ、そして怒りと悲しみ、笑いと涙。大先輩から見ればたったこれだけの時間ですが、ドラ マがありました。
 気がつけば子供2人は高校生。両親は七十路に入りました。我が家としては安定している時期なのかも知れません。自分が高校生の頃、何を考えていたかは覚 えていますが、自分が70歳になったとき何をしているかは想像が付きません。ただ今40歳半ばとなり70歳になったらどんな人間であるべきか、父として、 夫として、住職としてどういう事をしているべきかは大体予測が付きます。ただそれは70歳になってから始めたのでは間に合わないと思っています。今はこれ から何を得るべきか、何を捨てるべきかを考える年齢になってきたのだと思います。  
若者のように大きな夢はもう見れない、そうかと言っても夢は捨てずに小さな確実な物事を成し遂げて行く、これが私の進むべき道だと考えるようになりまし た。現代日本は、何歳でも若く美しく、どんどんお金を使って、どんどん時間も使って自分のしたい事をするのが美徳のような風潮になっています。結婚しない 人、子供を産まない人、色々な人がいます。その生き方を否定する訳ではありませんが、その年齢にはその年齢なりに行うべき役割があり、その役割を果たして こそ、その年齢に相応しい人格が形成されるのだと思います。今の日本は「国民が全て若者」のような社会になっています。「若者」「中年」「老年」それぞれ に独自の文化や生活があるべきだと思いますが、ファーストフードやコンビニ、大型ショッピングモールなどに代表される画一化、標準化社会では、それぞれの 世代が選んで訪れることができるお店や施設の種類も限られてしまっています。残念な事です。
 とはいえ嘆いてばかりいても、埒は開きません。我々中年世代がするべきことは、今までの人生を振り返り、今後自分の立場で行うべきことを計画し、それを 確実に実行していくことだと思います。無理に若ぶることはありません。「オヤジ」で結構です。オヤジにしか出来ない事、そして老いてからでは身につけられ ない知識、経験を今のうちに習得しておくことが大切だと思います。今後は「来し方を振り返り、行く末を見つめる」生き方を自分自身肝に銘じて貫き、今後の 人生を歩んでいきたいと思います。


「食べられること」のありがたさ…(2011.11)
 
 平成23年は本当に「体調」を崩した歳でした。手の腫れから始まり、虫歯が2回と また常日頃からの慢性的な疲労と、いよいよ「年齢」を感じる年頃にさしかかったのではと思っています。年末も押し迫り、それに「とどめ」をさす様な強烈な 出来事がありました。幸い命には関わらなかったのですが、大変苦しい思いをしました。それをこれから記します。
 ある日の夜中、寒い思いをして布団に入ったところ、冷えからなのか、お腹の調子が悪くてトイレに行きました。お食事中の人は申し訳ありませんが少し下っ ておりまして、用を済ませた後「ああ寒い」と言って再び布団にもぐり込んだところまた便意に襲われまして再びトイレへ。また下っておりまして「ああ寒い」 と再々度布団に入りました。この頃はすでに明け方になっておりまして、翌朝寝不足で仕事に行きました。仕事場についても「渋り腹」は治らず、「嫌だな」と 思っておりましたら、何となく酒を飲みすぎて悪酔いした時のような「こみ上げ」がありました。ふらふらと職場のトイレにいって個室に入って下を向くとなん と「嘔吐」してしまいました。その後、胸の「ムカムカ」と下痢は続いて、とうとう耐え切れずに早退して、家で布団の中で「ダウン」してしまいました。
 体温を計ると微熱があります。ただ下痢は続いており何も口にする気持ちにはなりません。自慢ですが、私今までどんなに高熱が出ても「食欲」だけは落ちな かったのですが、今回だけは何も食べる気になりません。ただ眠るばかりでした。次の日になって我慢できずに医者に行きました。診察によると「ウイルス性胃 腸炎」だそうです。ウイルスに効く特効薬は無く、対症療法だけであとは体力勝負だといわれ「整腸剤」を処方されました。「ウイルスが下痢によって体外に出 ると、嘘のようにケロリと治る」とも言われました。半信半疑でしたが、半日休暇をもらっただけで、仕事が抜けられず午後は仕事で夜に家に戻り、「イオン飲 料」を温めて飲んで寝ました。
 次の日、いくらか体調が戻りましたが、ほぼ丸2日固形物を口にしていないので、声が出ないのです。かすれ声です。仕事に行きましたが、電話の応対もやっ とで、しどろもどろです。昼食時に消化の良い「うどん」を食べたところ少し回復しました。とは言え2日分の「絶食」を補うには不足しています。翌々日やっ と便通も通常に戻り、平常どおりの食事も食べられるようになりました。
 この歳になって初めて「食べられない」という事を体験し、またウイルスの恐さも実感しました。胃腸炎のウイルスは抗生物質が効かないということは初めて 知りました。宇宙人が地球人を滅ぼす為に地球にばら撒いたものなのかとも思いました。兎にも角にもこの1年本当に体調を崩した年でした。「食べられるこ と」のありがたさに感謝し、また来年1年はぜひ健康に過ごしたいものです。(辰年の龍は何を食べているのでしょうかね?)


「本当に」歯はもうこりごり…(2011.11)
 
 8月に「虫歯」の顛末をお書きしましたが、実はその後も「虫歯」の脅威は続いておりまして、虫歯の病魔は私の体奥深くを静かに侵していたのです。何を隠 そう忘れもしない10月2日の朝食時、右側奥歯に激痛が走りました。その日は他寺に手伝いに行く日でしたので、激痛をがまんしながら車を運転しました。何 度車を止めて激痛に耐えようかと思ったことか…。昼食時何かを食べるにも激痛は続いていました。しかしその日のうちには痛みの強さは震度7が震度4くらい に落ち着き、がまんする気になればできるレベルに落ち着きました。
 しかし、1週間経っても痛みの震度4がおさまらないので、思い切っていつもの歯医者さんに診てもらう事にしました。私は高校生の頃奥歯を一本抜歯してお り、その歯を補うように前後の歯に橋渡し(ブリッジ)をして一本の歯を作っています。歯医者さん曰く「その橋渡しを支えている歯の一本が虫歯となり、神経 も死んでおり、その神経を抜いて治療を行う」とのことでした。そのためにその橋渡しの部分を外してまた作り直す必要があるとの説明でした。私は痛みが治る 安心感よりも、今後続く「歯医者通い」を考えると憂鬱になりました。なぜなら私の中学生、高校生時代はほとんど歯医者通いで終わってしまったからです。 「一度虫歯になると治療が長い」という先入観があり、「今回の虫歯をきっかけに、他の虫歯も発見され、治療が長引く」という見通しがついてしまったので す。とほほです。
 本格的な虫歯の治療は本当に10数年ぶりです。「神経を抜く」ということも同様です。「痛いのかなあ」と思っていましたが、最近は麻酔を多用するせいか ほとんど痛みを感じません。ただ麻酔が切れるまで唇周辺の感覚がないのは不快です。また奥歯が一本無いというのは非常に不自由であり、食事の時間が普段よ り余計にかかってしまい、他の人と一緒のペースで食べることができません。もっと年をとり、歯が何本も無くなった時は大変だなとも思いました。スローフー ドという言葉もありますが、スローイートという言葉も多忙な社会には必要だと思いました。
 長くかかると思っていた治療も、約2カ月で終了しました。これはうれしい誤算でした。「2度あることは3度ある」との諺もありますが、歯の治療とはしば らくご縁がないことを祈ります。そういえばもうすぐ年末です。今年1年は色々体の調子が崩れる年でした。来年は1年健康に過ごしたいものです。


きらりと光るものがある…(2011.10)
 
 拙僧は別業としまして、地方公務員もしております。現在職員の採用も担当しています。この時期は採用試験の時期でございまして、折からの就職難により沢山の受験生、とくに大学生が公務員を受験してきます。
 受験生と一番最初に接するのは「申込み」の時です。しかし、よく就職試験マニュアル等に「申込みの時から試験は始まっている」と書いてありますが、それ は「言い得て妙」とでも申しましょうか、実に当たっていると思います。申込みの時に、書類が揃っていない、又は態度が悪いという学生は、筆記試験で99% 不合格となります。仮に筆記で残れても面接では不合格となるのです。反対に申込みの時、「何か他の学生と違う良い印象」を受けた学生は、筆記試験、面接と もかなりの確率で合格するのです。
 これは、申込み時に「意気込み」なり、「気迫」といった真剣さが現れているからだと思います。ところが落ちる学生は「この職場にはお世話になることはな いだろう」と思っているのが態度に表れてしまうのです。「絶対にここで働きたい」と思う学生はその「想い」が表面に現れるのです。その「想い」というのは 具体的にどの言葉、どの態度と個別に説明するのは難しいのですが、必ず感じ取れる「良い印象」です。拙僧はこの態度・行動こそ「日本人の美徳」であると思 うのです。最近の学生はだらしなく、古き良き日本人か持つ「良さ」を忘れているという報道もありますが、どっこい、その「良さ」をきちんと受け継いでいる 学生も多数ではありませんが、事実として存在するのです。
 なぜ引き継げるのか、それはDNAであったり、本人の学習であったりと色々原因はあるかと思いますが、拙僧は大きな原因は家庭であると思います。放任主 義で自由に育った学生は、地域社会のつながりが希薄になった現在、「日本人の良さを誰も教えてくれない」状態となってしまったのです。単純に言うと「しつ け」がなされないまま成人を迎えてしまったのです。
 企業や職場が求めるのは「日本人の美徳」を持つ学生ですが、そのような学生は少数です。これらの学生はしっかりと就職できます。一方で美徳を持たない学生は、就職後もトラブルが予想されるため、職場から敬遠され、現在の就職難の一因にもなっているのかなと思いました。
 「良い印象」を持つ学生は、接していても気持ちが良いものです。この良い印象は「仏性」にもつながるのではないかと考えるようになりました。元来持って いる自分の中の良い面が自然に出せる学生は、色々な場面で成功する。持っていながら出せない学生は失敗してしまう。「きらりと光る」何かを出せるか否か、 それは単純なことではありますが、すぐにはできないことです。「ありがとう」「ごめんなさい」と素直に言えるかどうかと似ています。
 きらりと光る「仏性」のような素直な心を、私も身体いっぱいに持てるように努力していきたいと思います


親子で登山…(2011.9)
 
 少し報告が遅れましたが、8月某日に高1の息子と一緒に登山に出かけてまいりました。場所は群馬、栃木県境にある「日光白根山」です。標高2578メー トルで関東以北随一の標高を持つ山です。朝5時半に自宅を出発。その後日光白根山の登山の出発地へ丸沼高原のロープウエーを使ってたどり着きました。本来 であればさらに下の登山口から登るのですが、初心者の息子と足にやや自信のなくなった中年オヤジには「安全策」をとる必要があると判断した為、ロープウ エーを使用しました。
 ロープウエーの山頂駅を降りたのが午前8時。残念ながら霧に囲まれ白根山頂は見えませんでした。しかしこの時間であればお昼頃には戻って来れると思い張 り切って出発。最初は森林浴気分で登っていたのですが、深い森の中、周囲が見えない登り坂をひたすら歩くのは正直精神的にきつく、何回も何回も休みまし た。初心者である息子は山を歩いた経験が無く、息もゼーゼーで「戦意喪失」状態。途中水分補給で10分ほど大休止しました。大休止後間もなく森林限界を超 えたか、辺りが開けました。前を歩く人を見ると山頂まであと30分ほどらしいと見当をつけ、あとはど根性で上ります。終盤の急斜面はそれこそ「牛歩」のよ うにしか登れず、さらにゴール前の岩場では、文字通り「必死」に登りました。スタート後2時間強で山頂に無事到着。親子で固い握手を交わしました。
 登山というスポーツは、他のスポーツと違い、運動神経や体格に左右されること無く、ただ気力と健康な体、さらに「ど根性」があれば登頂を達成することが できます(世界屈指の山は別ですが…)。人間の生活も何か登山に似ているものもあります。私の生きてきた道も越した山が何回かありました。もちろん断念し て途中下山した山もありますが…。今回登山に出発する前に息子には、あきらめなければ必ず目標は手にすることができる。今回の登山はそれを学んで欲しいと 言い聞かせました。登山を通じて分かってもらえたと思います。
 蛇足ですが、下山はスムーズに行きました。下りはこんなに足が軽いのかと思うほどでした。ただ、下山のゴール前30分は栃木県地方この夏最大の「ゲリラ 豪雨」だったそうで、登山道が川のようになった中を逃げるように駆け下りたオヤジと息子でした。これも日頃のオヤジの不摂生が災いしたものかと思われま す。今後も一意専心で修行に励みたいと思います。


久しぶりの痛み…
(2011.8)
 
 今年の夏はとにかく「暑い」の一言に尽きます。35℃以上の猛暑が続いて連日晴れ続き。台風が来て一段落の感もありますが、なにしろ暑い夏です。それに加えて節電でエアコンは切らなくてはいけません。体の消耗が激しい43歳の夏となりました。
 さて、拙僧は過去を振り返ってみますと「虫歯」だらけの子供でした。なにしろ祖母の家が「お店」だったものですから駄菓子やジュース、アイスは食べ放 題。色々な甘いものを食べまくり、もちろん歯は磨かない。当然の結果として虫歯です。小学校高学年から歯医者通いが始まりまして、中学、高校はほとんど歯 医者さんとのお付き合いで終始したという、やや明るくない思い出があります。その反動で高校生以降は歯磨きを欠かさずに、さらには甘いものも控えておりま す。結果として数十年歯医者に通ったことがないという金字塔を建てました。残念ながら昨年1度歯の「詰め物」がとれて歯医者さんのお世話になりましたが、 それまでは無縁でございました。
 歯が良いというものの「寄る年波」には勝てないもので、6月の中旬頃から「歯がしみる」状態になりました。特に暑くなって、温かい食事と一緒に飲む冷た い飲み物が特にしみるようになってしまったのです。つまり歯を1度「温めて」から「冷やす」その温度差が非常にしみて耐えがたくなってしまったのです。
 そこで昨年1度、歯の「詰め物」がとれた時にお世話になった歯医者さんへ再度行ってみることにしました。詰め物がとれたのは全く痛みを感じませんでしたが、しみる痛さは別格で頭まで痛くなってしまったので、こらえきれずにお世話になりました。
皆が怖がる、歯医者さんの治療の「椅子」に座ると、「知覚過敏ですね、根本をコーティングしましょう」と言われ、コーティングのセメントを塗ってくれまし た。するとなんとウソのようにあの「痛み」がなくなりました。歯医者さんが仏様のように輝いて見えたのは大袈裟な表現ではありません。
 小さい頃、泣きながら歯の痛みをこらえた記憶がよみがえった、今回の歯痛騒動。懐かしさよりも痛さの方が上回っていました。偉そうなことは言えませんが、みなさん、歯だけは大切にしてくださいね。

皮の厚さとストレスと…(2011.6)
 
 梅雨に入るのも例年より早く、寒い日も暑い日も交互に訪れる中、皆様も体調管理に忙しい毎日を送られていることかと思います。さて、最近ストレス社会を 反映してか、「くよくよしない生き方」「悩みを溜めない生き方」「1日明るく生きる生活」などというコラムや記事、果ては書籍まで出版されています。確か に悩んだり、くよくよしたりする日々はあまり気持ちよくないものですからね。しかし、待てよと拙僧は思いました。ストレスや悩みはあってはいけないものな のか?むしろ当たり前にあるものではないのか。我々人間は生きていく上で悩んで、苦しんで少しずつ成長していくものなのではないかと思いました。これは 80歳の方でも同様です。社会に生きる人(ひと)として人間は死ぬまで成長する生き物だからです。
 戦前は、草履や畳の暮らしで、素足で行動することも多かったと思います。戦後生活に恵まれ、また洋風の建物に暮らすようになりましたので、素足でなく、 靴下や靴を履く生活になりました。それに伴い、足の裏の皮が薄くなり、今我々が素足で暮らすことになると、それこそ足が傷だらけになってしまうでしょう。 ところが昔の日本人は素足でもちょっとやそっとじゃ傷はつかない頑丈な足をしていた事でしょう。同じようなことが、心にも言えると思います。刃物や針で刺 すような強い刺激は別としても、少々の悩みやストレスでの刺激はかえって心を強くするものだと思います。それによって心が鍛えられ、ゆるぎない「自分」と いうものができるのではないでしょうか。拙僧も比叡山で修行をしていたときは、足の裏の皮が倍くらい厚くなっており、裸足で砂利の上を歩いてもあまり痛く は感じませんでした。また足の裏の痛みを感じないことで、他の事に気を配ることができました。現代は自分の心を他から守ることばかりに捕われ、他の人の事 に気を配れない社会だと思います。それがまたストレス社会を生み出している悪循環になっているのかとも感じました。
季節はもう夏に移っていきます。ストレスや悩みを恐れず、自分に自信を持って、梅雨晴れの道を大手を振って歩いていきたいと思います。

無力さと、虚しさと…(2011.4)

 東日本大震災に関するコメント、意見は色々な紙面や画面で掲載されています。想像を絶する被害の大きさに正直申し上げまして[言葉を失う」状態でした。 天災というのは、誰のせいでもない、誰を恨むわけでもないのですが、ただ自分の無力さを感じるだけの日々を過ごしています。僧侶としてそして1人の人間と して、1日も早い被災地の復興を祈ることしかできない中で、義捐金を送金したり、節電を心がけたりしたり、今自分にできることを精一杯している状況です。
 幸か不幸か、身内や知己に被災地に縁のある方がいない中で、どれほど被災された人々が困っているか、また苦しみに耐えているかは、テレビや新聞の報道の 中でしか知り得ないのですが、想像の中で自分が家や、愛する人を一瞬にして失ったと考えると、胸が張り裂ける思いです。21世紀を迎え、生活環境が便利こ の上ないほどに整備され、何不自由ない生活を送っていた中で[計画停電」も実施され、体験しました。たった4時間電気が途絶えただけで、これ程までに不便 に感じるとは情けない限りです。
 まだ、数カ月以内に余震の危険性もあるとのこと。90歳のお年寄りも「今まで体験したことがない地震」と語るほど今回の地震の揺れは激しいものでした。 兼務寺の普賢寺の御拝の屋根瓦も被害を受けました。積善寺の本堂内の漆喰も一部剥がれ落ちました。大きな被害は無かったとはいえ、「あの日」以来「心の中 の恐怖感」は消えない毎日を送っています。目に見えない「放射能」への不安も高まっています。この虚しさはいつ消えるか、今は何も言えませんが、大震災で 命を落とされた多くの方々、未だに行方不明で大海をさまよっている魂に対して、心からの祈りを捧げたいと思います。


「雪」と「人の心」と「風景」と(2011.2)

 またもや多忙を理由に、更新が遅れてしまいましたことをまずもってお詫びいたします。さて、この冬、特に2月に入ってからは、埼玉県北西部は積雪に見舞 われる日が多くなりました。私「普通車」と、日常の足用に「軽自動車」の両方を所有しておりますが、どちらとも「スタッドレスタイヤ」であります。普通車 の方はタイヤが大きいので10万円ほどしましたが、軽自動車は格安で4本で1万円程度で装着できました。
 スタッドレスタイヤを装着したのが、約2年前ですが、ここ数年は雪がなく出番はありませんでした。ところが今年に入ってスタッドレスタイヤが大活躍する ことになったのです。特に2月9日は、大雪に見舞われて国道にも積雪があり、至る所で車が立ち往生していました。私も約束があったので遅れるわけにはいか ず、渋滞の本道を避け、雪に埋もれた側道をひた走り、時間に目的地に着く事が出来ました。これもスタッドレスタイヤのお陰です。
 雪道を走行中に気が付く事がいくつかありました。夏タイヤで雪道を走行している車が想像以上に多いのです。もちろん途中で追突事故を起こす車が何台かあ り、パトカーのお世話になっていました。また他人の事を考えず、時速10キロ程度で大名行列を作っている車も何台かありました。あるテレビのコメントに 「雪道を夏タイヤで走ることは、飲酒運転と同様に危険なので、取り締まるべきだ」というのを聞きましたが同感です。自分や他人の命を奪ってしまうかもしれ ない危険な行為です。タクシーを使うか、出かける時間をずらすか安全な方法を選択してもらいたいものです。簡単なことだと思います。
 色々と書きましたが、私はこのスタッドレスタイヤは、「普段は必要がない」、「余計な経費がかかる」「めんどくさい」存在でもあります。装着しなければ それで済んでしまう年もあります。私はこのタイヤの件ひとつをとっても、近所づきあいや、人々との交流といった大事なものと同様であると思うのです。「他 人がいるから自分がいる」、「人に迷惑をかけず生きる」といった「人の心」が忘れられているという現れであるとも思いました。
 雪は全ての風景を真っ白に包み込みます。草だらけの空き地もゴミに埋もれた廃屋もすべて白くしていきます。普段は顔をしかめて通るような風景も、見違え るような清楚な場所に変わります。車を運転中に色々と考えた雑念も、その景色を見ることで心が洗われるような思いでした。


「天下分け目」の大法要(2010.12)

 天台宗埼玉教区第八部(寄居、小川、嵐山地区)では、毎年11月23日に「霜月会」(しもつきえ)法要を行っています。霜月会とは中国天台宗の祖、天台 大師智(ちぎ)の忌日によせて、忌日である11月24日近辺に天台宗の寺院で行われる法要です。第八部は18の寺院で構成されていますので、実に18年 に一度の大法要なのであります。その為に積善寺では本堂の改修、備品の購入を行い、準備を重ねてまいりました。特に11月に入ってからは住職は土日はほと んど準備に追われて、それこそ「目が回る」思いでした。  さて、いよいよ霜月会当日となりました。6時頃から準備を行っておりました。檀家さんも7時半頃から手伝っていただき、駐車場や来客の案内をしてくれま した。ただ前夜半からの雨が降りやまず、少し気持ちが沈みました。8時半集合ということで、各寺院の檀家さんや住職さんが集まってまいりました。積善寺本 堂は100人近くの人々であふれています。9時半いよいよ入堂です。沢山の先輩方の住職を従えて大導師として入道です。法要の内容は「天台宗在家勤行儀」 といってお経の読み下し文を住職と参加者が一緒に唱えるものです。法要も無事に終わりました。正直言って、「良かった」というより「ほっとした」というの が正直なところです。一番法要を見せたかったのが、志半ばで30歳足らずで無くなった祖父純田と祖父の弟永田、さらにはその父郷田です。法要には本堂の片 隅の写真で参加いただきましたが、きっと極楽で喜んでいることでしょう。話したことも会ったこともない2人ですが、私の心の中にはしっかり生きています。 先祖様に感謝し精進してまいりたいと思います。
※追伸:いつも境内を整備していただいている両親、陰ながら支えてくれている妻、テスト期間中にもかかわらず手伝ってもらった息子と娘にも心から感謝いたします。


心に届くメッセージ(2010.11)

 拙僧は、日頃お葬式や法事またお寺の行事に際しまして、仏様に関わるお話、いわゆる「法話」を参列される方々にお話しています。神妙な面持ちで真剣に聴 いてくれる方もいれば、あくびをかみ締めて退屈そうに聴いている方もいます。仏道に携わる者としてこの法話というのは、実は非常に重要なものであり、人々 の関心をいかに掴むかが、最も重要なのです。私という人間を通じて、仏様に関わる話を聴き、その向こう側に仏様を感じていただき、信仰を深めてもらうとい うのが大きな目的だからです。つまり「聴くに足らない」話であれば、仏様への信心も薄くなり、反対に素晴らしい話であれば、非常に崇高なレベルで仏様を信 仰していただくことができるのです。
 最近心に残った法話がありました。あるご住職のお葬式で、最後に親族代表である別のご住職が挨拶としてされた話です。その方は登山をされていた時期があ り、それこそ延べで千数百日も山に登られていたそうです。その人の話を要約すると『山登りは常に危険が伴う。笑顔で一緒に登っていた仲間も下山時には瀕死 の重傷で背負って降りることもある。ある瀕死の仲間を背負って下山した時、その仲間は背中で息絶えた。自分の背中で死なれたというのは言いようの無い衝撃 である。二十代、三十代の頃はその友人の顔がしばしば夢に出てきた。だが、四十歳を大きく過ぎた今、友人の顔は夢に出てこなくなった。ああ、これであいつ も極楽往生したのかなと思うような年齢になった。人の死をどう感じるかは年齢とともに異なる。人の死を受け入れるような年齢になった。亡くなられた住職も 四十過ぎて僧侶になった。すでに僧侶になった時から人の死を受け入れられる年代であった』
 なぜ、この言葉が私の心に残ったかというと、実際に死、つまり別れというのは突然に訪れる。さっきまで談笑していた登山仲間が突然瀕死の状態になり、必 死で助けようとして背負って降りたが、その甲斐空しく途中で絶命する。これは私たちが家族を失う悲しみ、苦しみを最も端的にしかも短時間でさらに、場面が 容易に想像できるものであるからです。「朝に紅顔ありて、夕べに白骨を散ず」という仏教語もありますが、それを実体験で分かりやすく話しているところが素 晴らしいのです。
 借りてきた言葉より、自分で体験してきた経験から発せられる言葉というのが最も、心に届くのだと感じた一場面でした。私もこれから未熟ですが、「心に届くメッセージ」を多くの人に伝えたいと思います。

ハチには、もうこりごり(2010.10)

 今年の「猛暑」は話題に出すのも飽きるほど、色々な所で話されています。本当に暑い、暑いと口に出して言っても涼しくならないのですが、毎日暑い暑いと 言いながら生活しています。私も僧侶となって十数年立ちますが、今年ほど僧侶の「袈裟、衣」を着けるのに抵抗を感じた年はありません。全くもって「熱い」 という表現がぴったりの夏です。でももう実は「秋」なんですけどね。
 さて、忘れもしない8月24日、朝のお勤めが終了しまして、屋外に出て、何気なく本堂の軒先に目をやりますと、バレーボール位の大きさの「スズメバチ」 の巣があり、たくさんの蜂が出たり入ったりしています。スズメバチは攻撃性が強く、近くに寄ると「威嚇」してきます。参拝される方は蜂の巣の下を通らない と本堂に入れない状況です。これは困ったと思い、嵐山町役場に電話しました。すると「役場では蜂の巣の駆除はしていませんが、業者を紹介します。というこ とで、業者を紹介してもらいました。早速業者に連絡を取ると、「スズメバチの巣の駆除は素人では危険です。」という説明なので、駆除を依頼しました。とこ ろが値段を聞くと「通常2万5千円。お寺のような高所は3万5千円です」とのこと。正直言って「高い」と思いましたが、泣く泣く依頼しました。業者は夕方 頃来て、ハシゴをかけて駆除し、30分程度で帰っていきました。
 大金は投じましたが、やれやれと思って日々を過ごしていました。すると約2週間後に、今度は反対側の軒先にまたまた巣を作られていました。しかもまたス ズメバチです。しかし、今度はまだソフトボールより小さめの状況。又依頼して大金を投じると思うと、はっきり言って「トホホ」の状態です。色々考えまし て、意を決して「スズメバチバスター」を決行することとしました。9月とはいえ猛暑の中、フルフェイスのヘルメットに合羽を二枚重ね、長靴、首周りはバス タオルで防御、手袋は皮製を二重にし殺虫スプレーを持ってハチの巣の真下に立ちました。暑い気候で汗はダラダラ。緊張で心臓の鼓動は早くなっています。巣 を観察すると夕方なのでハチは巣の中に戻っている模様です。狙いを定めて一気にスプレーを噴射。ハチが巣から飛び出してきましたが、出ると同時に皆墜落し ています。すかさず蜂の巣を棒で叩き落しました。その翌日ハチが動かなくなっているのを見届けてきれいに片付けました。安全の為とはいえ、ハチの命を奪っ たのは、僧侶として申し訳なく思っています。ご冥福を祈ります。
 ということで、何はともあれ、2回目は自分で退治することができました。今後は見回りを強化して、ごく小さいうちに退治してしまおうと思っています。 ニュースで見ましたが、今年は猛暑でハチが大発生しているとか。積善寺もご多分に漏れず、世間並みの状況です。いよいよお彼岸が近づいてきます。「暑さ、 寒さも彼岸まで」という言葉もありますが、この暑さ「いい加減」に終了していただくことを天の仏に心から願っている今日この頃です。


スイッチ(2010.8)
 こう毎日、毎日、これでもかという猛暑が続きます。生きている身としては、四苦八苦という言葉があるということは頭では分かっていても、体の負担はいや はや耐え難いものがあります。7月の梅雨明けから、攻撃の手を緩めることのない太平洋高気圧の熱風と、太陽光線の刺すような暑さ。いよいよ頑強と過信して いた自分の体も幾分かダメージを感じている今日この頃でございます。
 さて、暑い暑いといいますと、夜の寝苦しさはまた格別でございまして、エアコンを一晩中つけておくと体調が非常に崩れるので、多少汗をかいても朝まで 「扇風機」でやり過ごしています。扇風機でもなんとか眠れます。ただ、時々朝方「涼しい」時があります。その時は同室の妻が引き戸を細くしてくれたり、ま た暑くなったら少し開けたりとマメに調節してくれるのです。私はその時一瞬起きるのですが、またすぐ寝てしまいます。とても少しぐらい暑いからと言って起 き上がる気力はありません。「どうしてマメに起きることができるのかな」と思っていました。時には子ども部屋の戸まで調節しています。
 疑問はある日解けました。妻が眠そうな顔をして起きてきた時に、「頭は寝ているが、体は目覚めている」と言いました。私が思うに「引き戸を開ける」また は「閉める」というスイッチだけで起き上がることができるという器用な脳を持っているのだと思いました。私は起き上がると体全体が目覚めてしまいますが、 妻は小さいスイッチだけで起きることができる。だからまたすぐに眠れるし、あまり睡眠に影響しないのだと思いました。
 この考えは当たっているか否かは不明ですが、私たち家族が平和に暮らせるのは妻のこのスイッチのお陰に尽きると思います。さて、私にとっては一年で最も「踏ん張りどころ」のお盆がやってきます。読者の皆様も健康には特に留意されるように心からご祈念申し上げます。


平成の大改修!?(2010.7)

 梅雨も続いて、それだけではなく梅雨の晴れ間の猛暑もあり、体調の管理に手いっぱいな状態です。ただでさえ、夏は「苦手」な方であり、日々のサラリーマンの仕事と、土日の法事で疲労が重なり、「気力」で持ちこたえている状態です。
 さて、積善寺も150年間も風雪に耐えてきており、時々は歴代住職による改修も行われてきておりますが、やはり「寄る年波」にはかなわないもので、今 般、大改修となりました。まず、本堂内の天井が傷んでおりましたので、2間分張替を行いました。また本堂内陣以外の壁が変色しておりますので、その漆喰の 塗り直し、また裏側の土壁部分にトタン板を張り付けていただけでしたので、そこもトタン板をはがし、新しい外壁材に取り替えました。また、外側の漆喰も塗 り直して、綺麗に仕上げました。工事が完成すると、さすがに歴史ある建造物といった形で、外側も内側も生まれ変わりました。
 新しく、グレードアップした積善寺。機会がございましたら、見に来て下さい。改修した本堂でいよいよ、そうです「お盆」を迎えます。


「ツッイター」に気を付けろ!(2010.6)

 拙僧はある意味「IT住職」であります。インターネットのホームページをもってして、布教を行い色々な方々へ仏様への関心、信仰をお願いしているわけで ございます。また、仏事等に関しての疑問点や、知りたいこと等についても、メールを介して意思疎通を行っています。このホームページを開設した当時、と いっても7年ほど前のことですが、ホームページ作りは「技術」がある程度必要でした。作成ソフトを使用したとしても、HTMLタグ(ホームページを作る際 の中身)がどういう仕組みになっているか位は理解していないと、「全世界」に向けて発信するのが少し難しい時代でした。それが、数年前に「ブログ」の誕 生。そして、最近は「ツイッター」なるものが登場し、ますます意見交換が手軽にできる時代となりました。
 しかし「待てよ…?」です。ホームページや最低でもブログであれば、じっくりと読んだ後に内容についての疑問や興味を発信元に、メールやコメント等で問 合せて、発信元もそれに対してじっくりと回答することができると思うのです。ところが「ツイッター」は140文字余りの「つぶやき」に対しての反応であり まして、これが一体「コミュニケーション」と言えるのか、少々疑問です。
 この「ツイッター」、メディア各局で色々と取り上げられています。子育ての主婦は「自分の意見を認めてくれる人が多数いる事に気づき、孤独感がなくなっ た」と言い、また中年男性は「自分の意見を見ている人がどれだけ居るか、瞬時に反応が分かり、コミュニケーションが取れる実感がある」
とコメントしていました。
 ここで、私が言いたいことは、この人達は「自分の意見を「声」として聴いてくれる人が身近に居ない」ということです。現代社会が「無関心」「無責任」に なったのは、近所や家族や職場といった、ひとつの方向に向かうべき「集団」がその「方向」を見失っており、機能していないということにあるです。前述の主 婦や男性は、おそらく、可視的にいう「身の回り」に自分の意見を認めてくれる人が存在せずに、遠くの世界しかもバーチャルの匿名の世界にコミュニケーショ ンを求めているのだと思います。
 「近所で嫌われている人ほど、遠くの仲間からは好かれている」。「妻とは家庭内別居状態の夫ほど、職場内の女性からは人気がある」。という話がこちらか ら聞くまでも無く、嫌というほど最近は耳に入ってきます。「自分の居場所」「自分の拠点」を失った人々が街にはあふれかえっています。一番大切なのは、目 に見える「身近な人々」であり、その人達と良い関係を築くには「お互いに少しの我慢」が必要なのです。身近な人を選ぶか、ツイッターの中の人々を選ぶか、 本当に力になってくれる人はどちらなのでしょうか。私もじっくり考えた上でツイッターを体験してみようと思います。そんなこんなで「積善寺なう」。


「新住職」誕生(2010.5)

 拙僧こと、新井尚田は「新住職」としてこの4月から新たなスタートを切りました。と書くと「積善寺」でなくどこか別の寺に移ったか?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、そうではございません。積善寺に加え、別のお寺の兼務住職にさせてもらったということです。
 そのお寺は普賢寺といいまして、積善寺の隣町である小川町大字奈良梨にあります。奈良梨というのは旧街道の伝馬宿であった地域であり、歴史の深い場所です。そこに普賢寺はあります。詳しい縁起等は当ホームページよりリンクしていますので、ご覧下さい。
 さて、今年のゴールデンウィークは曜日の並びが良く「5連休」でございました。前半は積善寺の堂内整備及び法事。今回は立って焼香のできる焼香机を手作 りしたのが、最大の成果です。後半は普賢寺のウェブページを作成すべく写真撮影を行いました。ところが、この春の陽気で草がだいぶ目立っていたので、一日 かけて除草作業も行いました。歴代住職の管理が良かったせいか、少し除草作業を行うと、立派な堂宇がよみがえり、写真を撮影するのに最高でありました。し かし、この紫外線の強い中、丸一日屋外での作業だったので、「日焼け」をしてしまいました。色が黒くなると、まるで「悪徳坊主」のように見えてしまうので はないかと、少々心配です。全くの私見ながら、我が「天台宗」の僧侶の特徴は「色白」「痩せ型」だと思います。「色黒」で「恰幅が良い」ではないと感じて います。
 また、多忙な合間をぬって、プランターに野菜の苗も植えました。お弁当や食卓に「もう一品」の時にこのプランター菜園は非常に重宝します。インターネット等でも方法が示してありますので、チャレンジされてはいかがでしょうか。
 さて、連休も終了し、いよいよ夏が近づいてきました。連休のうちにたまりに、たまった「サラリーマン」の仕事もあります。決して体が休まった訳ではありませんが、心は少し落ち着いてきました。明日からもがんばるぞ!…新住職より。


「自分でない」もどかしさ(2010.4)

 拙僧は、子ども2人に恵まれまして、現在、中学3年の息子、そしてと中学2年の娘です。お陰様で病気することもなく、五体満足で成長しております。中3 の息子は来春受験です。人生で初めての試練ですが、ここでなんとか踏ん張って自分が納得のいく結果を出してもらいたいと、陰ながら応援している次第でござ います。たまに息子の勉強を見てやることもあるのですが、「もったいない間違い」が多く、「あと少し頑張ればいいのにな」と思うことが度々あり、つい大き な声を出してしまう結果となってしまっています。子を持つ親ならだれでも感じていることかと思いますが、自分の子供に期待をかけ、それが裏切られると子ど もを叱る。子どもは親の所有物でなく、あくまでも1人の人間なんだとは分かっているのですが、なかなかそれができない。子どもの行動を自分の事のように、 喜んだり悲しんだりしてしまう。息子は自分の子だけど、「自分」ではない。自分でないから、教えた通りにはできない。「自分ならできるのに」と思っても自 分でないから伝わらない。近くにいる親ができることはただ教え続けることですが、伝わらない、「自分でない」子供に伝わらないもどかしさを特に最近感じま す。これは仏教を人々に伝える立場である私にとって、1つの大きなヒントであり、且つ自分なりに答えを出していかなければいけない事柄だと思っています。 お釈迦様の息子の「ラーフラ」は、仏門に入ることを自ら申し出たと聞いております。お釈迦様にはできるが、凡人の私にはできない。それだけ自分の子を親の 考えに従わせるのは難しいということです。まあ、気長に結論を探してまいります。
 今年は4月になってから、「寒の戻り」があり、花は長く楽しめますが、体の調子を整えるのは苦労します。3月末から4月にかけては、今年6年目を迎える勤務先の部署では最も忙しい時期です。子供とも関わりたいと思ってもこの時期はいつも、疎遠になってしまいます。
 色々と悩んでいることを書きつづりましたが、最後に大きな「報告」があります。天台宗の普賢寺という小川町にある寺院をこの4月から兼務することになりました。檀家様のご期待に添えますよう頑張りたいと思います。詳細については、次回以降に書いていきたいと思います。


「やさしさ」と言う名の「無関心」(2010.2)

 今月初めには、都心でも雪が降りいよいよ冬も盛りとなってきました。朝、本堂でお経をお唱えする時も、吐く息が真っ白です。白い息に乗せて私のお経を読 む功徳が、各霊の供養に届けばとも思ってしまう今日この頃です。そうかと思えば、2月最初の週末は雪国から、大雪の便りかと思えば
豪雪の被害のニュースが届き、被害に遭われた方々には気の毒に思いながらも、オリンピック開催地は雪不足であるとの報道に、本当に理不尽な自然の厳しさを目の当たりにして、人間の力の弱さを痛切に感じておる次第であります。。
 さて、拙僧はあるお寺で「初詣」のお手伝いをしており、またその際に「護摩修行」の導師を務めさせていただき、多くの参拝者の願い事をかなえるために祈 願をしております。護摩修行を修する護摩壇の正面には「お不動様」こと不動明王が安置されています。ご存じの方も多いと思いますが、お不動様の特徴はなん といってもあの「怖い顔」です。憤怒の相と言われており、文字通り「怒った」顔をしていらっしゃいます。私が比叡山で修行をした時、修行道場の院長先生が 「不動明王の顔は一見怖い顔だが、実は真剣に人々を救おうとしている慈悲深い仏様である。あの顔は『火事の中に取り残された、子供を助けに行く母親の顔 だ』とおっしゃっていました。確かに誰でも人を救うときは、真剣な顔つきになります。笑っていては救えない…。
 今の社会は、「楽しさ」「快適さ」こそが美徳のようになっています。確かに人から注意されたり、しかられたりすることは誰だって不快に思うし、なるべく なら怒られない方が良いに決まっています。しかし成人した人であれば、どの人も「今の自分」を支えているのは「叱られた」経験ではないでしょうか。人間い くつになっても「叱られる」ことによって成長するのです。「叱られない」ということは「教えてもらえない」ということで実は大変淋しいことなのです。先日 NHKで、遺骨の引き取り先が見つからない「孤独死」が、わが国内で昨年3万2千人以上にもなると放送されていました。そういう人々は、あの「バブル」の 頃、「金」という名の魔物に取り付かれ、一見羽振りの良い暮らしをしていたように見えましたが、その後「都会」という幻の夢に埋もれ、「金」よりも何より も大切にしなければならない、人と人とのつながりを失い、それががほとんど無くなっていった証です。「やさしさ」と言う名の「無関心」…。身にしみます。
 一方私は、毎日職場の先輩や、檀家様、はては妻にまで「お叱り」を毎日のようにいただき、大変幸せな?日々をすごしております。お叱りの言葉を不動明王様の教えと心に深く刻み、今後とも精進してまいりたいと思います。

後厄の締めくくりと新年と…
(2010.1)

 拙僧は平成21年12月で、42歳になりまして、数え年で43歳となります。つまり3年かかって祓い続けた「厄」が平成21年で終了するのでございま す。確かにここ3年間は色々な事があり、「厄」年であったなと思います。とはいえ「厄除け」の御利益により大きな災いには遭遇することもなく、御仏の御加 護により生きていくことができました。当HPの愛読者であればお分かりかと思いますが、とにかくこの師走の時期は多忙でございます。公務員の業務も「議 会」対応でございまして、それが終わると、自分の寺の年末準備、住居の掃除、応援に行っている他寺の準備の手伝い等、体がいくつあっても足りないくらいの 忙しさでございます。
 さて、事件はそのさなかに発生したのでございます。年末のある日、荷物を棚に載せようとしたところ、これが一度では載らなかった。抱え直せばよかったの ですが、そのままの体勢で腰に力を入れたところ、腰に「ギクッ」という痛みが走り、その場で動けなくなってしまいました。それから部屋に戻り横になってお りましたところ、あれあれ何かどんどん良くなってきたではありませんか。「これも仏様のお力か」と思い、数時間後には庭掃除を始めました。ところがここに 「罠」があったのです。枯葉を掃いて積もったところに、箒を持ったまま足を踏み入れると「ズルッ」と窪みにはまり、その時に再び腰に激痛が走ったのです。 これで「とどめ」を刺され、一巻の終わりとなったのでございます。その日はもちろんのこと、翌日も「寝たきり」になってしまいました。結果として大分回復 しましたが、正月も予断を許さない状況です。拙僧は二十代、三十代の時もこの「ぎっくり腰」を経験しましたが、なんともこの「痛さ」は、耐え難いもので す。西洋ではぎっくり腰を「魔女の一刺し」と呼んでいるそうですが、確かに悪意を持って、「刀か槍」で突かれたような衝撃と痛みであります。
 ぎっくり腰は悲しいことでしたが、これも「後厄」の締めくくりに仏様が「気を引き締めろ」と指示をくださり、厄に一区切りをつけていただいたものと前向 きに考え、来年からの暮らしを初心を忘れずに生きていこうと思いました。平成の年号も22年を向かえ平成生まれも社会人として、ちらほら見られるようにな りました。来年一年も皆様のご協力をいただきながら、精進しつつ過ごしていこうと思います。実はこれを書いているのは大晦日の夜。さて、そろそろ除夜の鐘 の手伝いに向かう為、真夜中の道に車を走らせますか…。昼間には風花が舞った冬の空気は冷たそうです。それでは良いお年をお迎えくださいませ。