積善寺にまつわる民話

「首なし地蔵」

   昔、小川町から熊谷へ行く道が、杉山を通っていました。中爪(なかつめ)から六万坂(ろくまんざか)を登り、おきやつヘ出て広野へ行く道です。六万坂を登ったところに金子屋という団子屋がありました。車のない時代ですから重い荷物は馬の背につけて運び、人は歩いて行きます。のどが乾きおなかがすけば、お店 へ寄ってお茶を飲んだり、団子だのお菓子を食べ、馬には水を飲ませてまた歩きます。金子屋さんにも通る人が寄っては休み、また出かけます。この家には、きれいな娘さんがいました。みんなに親切にしてあげるので、お店にいつもお客さんがいっぱいです。
   ある晩、この団子屋さんにどろぼうが入りました。家の中にあるお金になりそうなものを盗んで馬の背につけました。そして最後に、娘さんをつかまえて手足をしばり、声が出ないように口までしばって馬の背にほうりあげて団子屋を出ました。
   娘さんは馬の背で苦しいから首を動かし動かしすると、口をしばった手ぬぐいがポロリと落ちました。そこは多右衛門おじさんのお家のそばだったのです。「多右衛門おじさん助けて!助けて!」と大声をあげました。多右衛門おじさんは、若い時はお侍だったのですが、お城が敵にとられた時、侍をやめて杉山へ来て百姓を始めたのでした。団子屋の娘がよい子なのでおじさんはかわいがっていたのでした。「助けて!」の声を聞いて早速刀を持って外へ飛び出しました。その時、刀を抜く音がしたかと思ったら「ワアッ」という娘の声がして、馬は駆け出したようです。どろぼうが娘を殺し、馬を駆けさせて逃げたらしい。
   多右衛門さんは「しまった」と言ったが、もう遅かった。提灯(ちょうちん)をつけて探したら娘の首と胴は別々になって死んでいました。かわいそうに思った多右衛門さんは、石屋を頼んで娘の顔そっくりなお地蔵さんを作ってもらいました。そして娘さんの亡くなった日が二十四日だったので、毎月その日にはお花や菓子や線香をあげました。
   ところが、ある夜このお地蔵さんの首をだれかがとってしまいました。おじさんがいくら探しても見つかりません。そこで石屋さんに首だけ作ってもらい地蔵さんに付けましたけれどまた首がなくなりました。多右衛門おじさんが幾度も幾度も、首を作ってもらってもだめでした。
   おじさんも年をとって亡くなり、首のない地蔵さんということで今も『首なし地蔵』と言っています。
   この『首なし地蔵』は、娘の殺されたところにまつられたのでしたが、後に積善寺(しゃくぜんじ)へ移され今は寺の入口に大きなお地蔵様と並び、まつられています。 この地蔵様は、やさしい娘の生前の徳により、苦しいことや悲しいことを人々から遠ざける「苦悲(くび)無し地蔵といわれ信仰されています。
「嵐山町の伝説」嵐山町教育委員会編. 挿 絵 澤村 厚夫. 再版者 佐藤 治より引用


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