住職近況

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 色々な人々の思い

 当サイトをご愛読の皆様、お暑うございます。東京地方も4日連続の猛暑日で焼けつくような日差し、空気で外に出るのも恐怖を感じるほどの気候になっています。まだ7月だと思うとこれから夏本番などとメディアで言われると生きるのが辛くなってしまいます。
 さて、積善寺を事実上創建した祐源和尚は伯耆の国、現在の鳥取県出身で、諸国漫遊の折、現在の積善寺の地に留錫し、お堂を建てて創建に至ったと伝えられ ています。創建の年は明らかではありませんが、祐源和尚が1571年になくなっていることから、それより少し前であることは間違いありません。それから私 まで、歴代住職がつながっており、私尚田で24代目となります。
 色々、古文書や墓石を見て調べますと、江戸時代以降は、1つの寺に終身で住職を務めることはあまりなく、教員や公務員の人事異動のように、1期10年ほ どで別の色々な寺に移っていったようです。明治の廃仏毀釈、戦後の農地解放の影響を受け、1つの寺に終身で住職を務めるほうが、経費がかからないというこ とで、現在の様式になったようです。生活の基盤が安定し、近隣住民や檀家にとっては同じ住職がずっと対応してくれることから、双方の結びつきも強くなった ものと思います。一方で世襲化が進み、色々な考えが入らなくなった、デメリットも出てきたものと思います。
 時々、寺の周りを歩いたり、本堂を掃除したり、眺めたりした折に、およそ500年以上の歳月の流れの中で、色々な住職、その家族、檀家、信者がいたので はないかと想いを巡らすことがあります。私も決して順調な人生ではありませんでしたが、もっともっと色々な苦労をした多く人々が、遠い過去から生きて暮ら していたのではないかとしみじみ思うことがあるのです。
 色々な人々の思い、それを感じつつ、しっかりと、ゆっくりと進んでいきたいと思います。
沙門 尚田 敬白